萬四郎神社 由来
萬四郎神社は三百年の昔から現在の社地に祀られる 実業人の神さま 子供達の神さま で祭神はその頃 大阪では鴻池 博多では伊籐 と並び称せられ 殊に幕府の許しを得て伊藤小判を発行した程の大富豪伊藤小左衛門並にその一家一門であります
二代目の小左衛門が寛文七年(一六六七年)黒田藩の忌諱に触れ(国禁の貿易を咎められたと謂はれる)突如として長崎に於て捕縛され 次いで博多では妻子嬰孩一家六人をはじめ番頭手代及び博多町内の親族とその妻子ら 平戸 長崎 対州等にある親族(いずれも大富豪)など一斉にとらえられ忽ちにして磔刑または斬罪に処せられました
その刑が余り惨たらしいので之を祀ろうとする人があっても刑死の人を祭るわけにもいかず 然かし五歳の三男小四郎や三歳の四男萬之助などあまりに不憫だといふので ニ児の名を一つに合せ 萬四郎さま と唱えて祀ったのであります 初めは地主大明神とあがめられたが要するに伊藤神社であります
伊藤小左衛門の初代 二代は大船あまた持ち自ら操って支那の各港や南洋各地に交通し盛んに交易して彼の地の文化を移入し また内地にあっては大いに採鉱冶金の業に励んで国富の増進に勉めたものであります
昭和三十二年七月吉日
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万四郎神社
寛文7年(1667年)、幕府の鎖国政策に反して朝鮮と密貿易を行った罪により、博多商人伊藤小左衛門とその一族は処刑されました。当社は、父小左衛門に連座して処刑されたという小四郎と万之助兄弟の幼い魂を祭ったと伝えられ、商売繁盛や子供の健やかな成長にご利益のある神様として信仰されています。また、別の伝承によれば、小左衛門に仕えた老狐を稲荷の神として祭ったともいいます。
福岡市
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