[0067] 水鏡天満宮(すいきょうてんまんぐう)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0067
神社名 水鏡天満宮(すいきょうてんまんぐう)
神社別名 
参拝日 2011/12/04
再訪日 2012/06/25
社格  村社
その他社格 
ご祭神菅原道真公
由緒等
水鏡神社

◆祭神 菅原道真公
◆祭日 十月二十五日

この神社は一名水鏡天満宮という。社伝によると延喜元年(九〇一年)菅原道真公が太宰権帥に左遷されて博多に上陸の時、四十川(現在の中央区今泉)の清流を水鏡として姿をうつされたので後世その地に社殿を建てて水鏡天神、又容見天神といった。慶長十七年(一六一ニ年)初代藩主黒田長政が現在の地に移築遷座し、寛永十八年(一六四一年)二代藩主黒田忠之が社殿を再建した現在福岡市の中心「天神」の地名は当社に由来す。社宝として、水鏡天神縁起、(大鳥居信祐筆)、鏡天神縁起、渡唐天神像、その他がある。尚当宮正面鳥居扁額は、元総理大臣広田弘毅が小学生の時揮毫したものである。

●特殊神事
 鷽替(正月七日)
 がんぞい祭(七月二十四日 二十五日)

寄贈 福岡天神ライオンズクラブ

水鏡天満宮略記

水鏡天満宮

福岡市中央区天神一の一五の四 鎮座
御祭神 菅原道真公

由緒

当社は、文道の祖、学問の神として多くの人々に尊崇される、天神さま-菅原道真公をお祀りする神社です。
道真公は、承和十二年(八四五)、代々学問の家として朝廷にお仕えした菅原家にお生まれになりました。幼名を阿呼と申され、五歳の頃には、「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」という和歌をおつくりになり、十一歳の時には「月夜に梅花を見る」という漢詩をお作りになって、その才能は人々を驚かせました。このような天賦の才能をお持ちの上に、幼い頃よりたいへん学問に励まれましたので、十八歳の時には文章生登用試験に合格され、早くも三十三歳で学者としては最高の文章博士になられたのでした。
道真公の学才と誠実なお人柄は、人々の敬慕するところでしたが、殊に宇多天皇の篤いご信任を受けられ、ついに従二位右大臣という位まで登られました。しかし、昌泰四年(九〇一)一月二十五日、讒言により、突然「太宰権師に左遷」という詔が発せられたのです。二月一日、自邸の紅梅殿の梅に向かって、「東風ふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」という歌を詠み、追われるように都をあとにされたのでした。
長い流謫の旅の末、博多に上陸された時、清流に臨んで水鏡に姿を写して御覧になり、「私の魂は長くこの地に留まり、後世無実の罪に苦しむ人の守り神となろう。」と仰せられたという御由緒により、その地に社殿を造立し、水鏡天神、また容見天神とも称しました。
その清流を四十川と言います。この川は庄村-今の中央区今泉、薬院のあたりを流れ、容見橋という橋もかかっており、当初神社もその附近に祀られておりましたが、慶長十七年(一六一ニ)筑前藩主黒田長政公が、築城の際庄村から福岡城の鬼門にあたる現在地に奉遷し、福岡城下全体の守護としました。その後、寛永十八年(一六四一)二代藩主忠之公が社殿を再建して今日に至っております。
福岡市の中心「天神」という地名は、当社に由来しており市民の心の拠り処となっている御社であります。
このような由緒により当社は、学問にいそしみ励む人、無実の罪に歎く人の守り神として、また災難よけ、開運の神として崇敬されております。

●鳥居扁額
太平洋戦争のA級戦犯として、一言の弁明もせず処刑場へむかった元総理大臣広田弘毅は、当宮氏子の石屋の子として生まれましたが、幼い頃より神童の誉高く、小学生の時、当宮の鳥居の扁額の字を揮毫し奉納したと言われています。

●天神さまと牛
御祭神菅原道真公は、承和十二年(845)乙丑の年に御生誕になり、延喜三年(903)2月25日にお亡くなりになりましたが、「私のなきがらは牛の車に乗せて、人に引かせずに、その牛の行くところに止めよ。」と遺言されました。遺言のとおり牛が止った所に道真公を葬り、その上に社殿を建てたのが太宰府天満宮の草創です。このように牛と天神さまはたいへんふかい縁がありますので、各地の天満宮では、牛を大切にしています。
 一つごと足踏みしめて歩みなば
  他は踏まじと牛はいそがず

●うそと天神さま
うそは「鷽」と書き「學」という字に似ているので、学問の神さまのお使鳥だといわれてきました。また1月7日には「うそ替」が行われていますが、これは鷽をかえることによって、人が一年間についたウソを天神さまのマコトに替えていただくという神事です。また金ウソは幸運を招くといわれ、開運の御守として大切にされています。

●祭事暦
1月7日 うそ替
7月24・25日 夏祭(がんぞい)
10月24・25日 秋祭

●社宝
木彫渡唐天神像(県指定文化財) 享保十四年(1729) 大仏師正慶作
水鏡天満宮縁起 延宝二年(1674) 大鳥居信祐作
綱敷天神像 狩野栄川院法印典信画
鳥居扁額 広田弘毅首相小学生の時の書

水鏡天満宮社務所 福岡市中央区天神1の15の4 ℡(092)741-8754
ご朱印
鎮座地区福岡市中央区
郵便番号810-0001
所在地福岡市中央区天神1丁目15-4
地図座標33.592702,130.401784
公式HP 
福岡県神社誌
【社名】 水鏡神社 [A00-0021]
【所在地】 福岡市天神町
【祭神】 菅原道真
【由緒】 天慶五年創立社説に菅公太宰府へ左遷せられ給ひし時其船博多の津に着し上陸して後四十川の清流に臨みて水鏡を見玉ひ罪無くして冤罪を蒙り給ふ心中の鬱念に自ら容の衰へたるを歎き我霊魂は長く此地に留り後世冤枉に苦しむ者の為に守護す可しと宜ひ給ひし事あり依て其所に社殿を建て水鏡天神亦容見の天神とも号し祭祀ありしを慶長十七年旧福岡藩主黒田長政今の地に遷座し其子黒田忠之寛永十八年再建せり、明治五年四月村社に定めらる、福岡市庄字野添村社天満宮を大正二年十月十六日許可を得て合祀す。
祭神同一に付合霊せり。
【例祭日】 十月二十五日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年一月十九日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、神饌所、社務所、神楽堂
【主なる宝物】 扁額松梅画(絹地)一面藩主黒田綱政筆、扁額短冊和歌一面藩主黒田継高筆、三方(黒塗松竹梅金蒔絵)三台藩主黒田侯奉納
【境内坪数】 八百七十四坪六号六勺
【氏子区域及戸数】 中島町、中島浜新地、東橋口町、西橋口町、須崎土手町、須崎裏町、船津町、鍛冶町、材木町、勝立寺新町、極楽寺町、下名島町、天神町、東因幡町、西因幡町、本庄町、新開町、昭和通、渡辺通、長浜町、戸数約千四百戸
【境内神社】 宮地嶽神社(阿部氶相、藤高麿、藤助麿)、秋葉神社(迦具土神)、荒木田稲荷神社(宇賀御魂神、宇賀魂神)、稲荷神社(稲倉魂神、宇賀魂神、宇賀御魂神)、金刀比羅神社(崇徳天皇)
次の十社を同一社殿に奉祀
出雲神社(大黒主尊)、塩竈神社(武甕槌神、塩土翁神、経津主神)、恵比須神社(八重事代主神)、宗像神社(田心媛神)、思兼神社(八心思兼神)、莵道椎郎神社(莵道椎郎子尊)、八幡宮(応神天皇)、住吉神社(底筒男命、中筒男命、表筒男命)、天照大神社(天照皇大神)、松尾神社(大山咋神)
コメント 
公開日2012/06/30
更新日2012/06/30
その他の写真
神社正面入口
鳥居扁額
水鏡神社由緒
社号標
石碑
神社案内板
楼門
境内
参道
手水舎
社務所
狛犬(阿形)と牛
狛犬(吽形)と牛
玉垣門
拝殿
拝殿正面
拝殿神額
拝殿神額
拝殿内
境内神社鳥居
境内神社全景
境内神社、荒木田稲荷神社
境内神社、左から大黒社、秋葉社、金刀比羅社、宮地嶽社
本殿裏亀石
本殿
社殿全景
猿田彦大神
境内池
神社横通路(水鏡天満宮横丁)
神社裏側鳥居(水鏡天満宮横丁入口)
神社裏側全景