[0073] 熊野道祖神社(くまのどうそじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0073
神社名 熊野道祖神社(くまのどうそじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2011/11/26
再訪日 2013/03/16
社格  無格社
その他社格 
ご祭神伊邪那岐命、久那斗神、八衢比古神、八衢比売神
由緒等
大厄 (男)25 42 61 (女)19 33 37
中厄 (男)24 26 41 43 60 62 (女)18 20 32 34 36 38
小厄 (男女共)1 4 7 10 13 16 19 22 25 28 33 34 37 40 43 46 49 52 55 58 61

主なる祈願
商売繁昌、開店清祓、家内安全、厄除、初宮、入試、成人、還暦、古稀、交通安全、海上安全、七五三、地鎮祭、上棟祭、竣工祭、水神祭、家祓祭、神葬祭その他

初宮参
男子 生後三十日
女子 生後三十一日

長寿の祝
還暦六十才 古希七十才 喜寿七十七才
傘寿八十才 米寿八十八才 白寿九十九才

七・五・三 男女共 三才、五才、七才

春季大祭 四月十四日、十五日、十六日
夏季大祭(茅輪神事) 七月十四日、十五日
秋季大祭 十月一日、ニ日、三日
月例祭 毎月一日、十五日

古い去年のお札は守札授与所前の古札箱に御納め下さい。祝祭日には必ず国旗を掲げましょう。

熊野道祖神社

熊野道祖神社由緒

御祭神
 伊邪那岐命 久那斗神 八衢比古神 八衢比売神
境内末社
 福徳稲荷大神 金伯五金大神 伊豆能売大神 のどの大神

熊野神社は古より塩原の射場「塩原中央部」に伊邪那岐命を祭祀せられ、道祖神社は塩原イトリサヤ「塩原四丁目芸工大前」に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を奉斎しておりましたが、昭和十二年両社が合祀せられ現在の熊野道祖神社となったのであります。
文献では「古事記」上巻伊邪那岐命が黄泉国より帰られる段に「亦塞(ニ)其黄泉坂(一)之石者號道反大神、亦謂塞其黄泉大神」とあるのが最初で、即「道反大神、またの名を塞坐黄戸大神」とも呼ばれ、巨石を以て象徴し衢路に坐して悪霊を防ぐ神でありまた一方古典に見ゆる岐神(久那斗神、船戸神)とも申しあげます。何れも王朝の昔より悪疫を塞ります神並びに旅行の幸福を守護し給う神とも信仰せられ、総括的にはサイノ神と申し奉ったものであります。
道祖神社の神域は、昼尚暗き樹木に覆われ周囲は水田地帯でありましたが、昭和二年四月七日、福岡県立筑紫中学校が道祖神社の境内を含む塩原に開校せられ、同校建設の際、社地の樹木を漫りに伐り忽ち病等其他不慮の災害に罹った者が多く、斯る御神威に鑑み強いて移転せしむる事は恐れ尠からずとして遂に此儘据置かれる事になったのであります。
この霊験あらたかなる神明照覧加護の下、交通安全、商売繁昌、学業成就、夫婦和合、旅行安全、開運、厄除、各種祈願成就の為県内はもとより、遠隔地から多くの参拝者が訪れて居ります。明治以前から塞神又は道祖権現或は葛権現と称して崇敬され、今日に及んで居りますが其名も著き神秘なる一例を挙げると、明治ニ十一年の大暴風の際、倒れたる神木が榎で太古から良い縁を授かり悪い縁を取り除く縁結びの神として崇敬され一夜の間に自ら起き直り今尚森々として繁茂し榎の大木が自然の造形其ままに四季折々の変化を遂げ、参拝者の心を慰め鬱蒼たりし千古の杜も依然として尊厳を保持せられて居るのであります。

恒例祭
毎月一日、十五日 月例祭
一月一日 歳旦祭
一月三日 元始祭
一月十五日 成人祭
二月四日 節分祭
二月十一日 建国記念日
四月十四、十五、十六日 春季大祭
七月十四、十五日 夏季大祭(茅輪神事)
十月一、ニ、三日 秋季大祭

諸祈願
初宮参
男子 生後三十日
女子 生後三十一日
長寿の祝
還暦六十才 古希七十才
喜寿七十七才 傘寿八十才
米寿八十八才
七・五・三 男女共 三才、五才、七才

外祭
地鎮祭・上棟式・家祓祭
竣工式・水神揚・神葬祭・他

熊野道祖神社略記

鎮座地 福岡市南区塩原四丁目十一番一号 電話〇九ニ-五四一-三五四五
御祭神
 伊邪那岐命
 久那斗神
 八衢比古神
 八衢比売神

交通
一、西鉄バス博多郵便局前バス乗場より(47)那珂川営業所行(48)福翔野多目行にて「塩原四丁目」下車徒歩二分
一、西鉄大牟田線「大橋駅」東口より徒歩五分

由緒
熊野神社は古より塩原の射場「塩原中央部」に伊邪那岐命を祭祀せられ、道祖神社は塩原イトリサヤ「塩原四丁目芸工大前」に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を奉斎しておりましたが、昭和十二年両社が合祀せられ現在の熊野道祖神社となったのであります。
文献では「古事記」上巻伊邪那岐命が黄泉国より帰られる段に「亦塞(ニ)其黄泉坂(一)之石者號道反大神、亦謂塞其黄泉大神」とあるのが最初で、即「道反大神、またの名を塞坐黄戸大神」とも呼ばれ、巨石を以て象徴し衢路に坐して悪霊を防ぐ神でありまた一方古典に見ゆる岐神(久那斗神、船戸神)とも申しあげます。何れも王朝の昔より悪疫を塞ります神並びに旅行の幸福を守護し給う神とも信仰せられ、総括的にはサイノ神と申し奉ったものであります。
道祖神社の神域は、昼尚暗き樹木に覆われ周囲は水田地帯でありましたが、昭和二年四月七日、福岡県立筑紫中学校が道祖神社の境内を含む塩原に開校せられ、同校建設の際、社地の樹木を漫りに伐り忽ち病等其他不慮の災害に罹った者が多く、斯る御神威に鑑み強いて移転せしむる事は恐れ尠からずとして遂に此儘据置かれる事になったのであります。
この霊験あらたかなる神明照覧加護の下、交通安全、商売繁昌、学業成就、夫婦和合、旅行安全、開運、厄除、各種祈願成就の為県内はもとより、遠隔地から多くの参拝者が訪れて居ります。明治以前から塞神又は道祖権現或は葛権現と称して崇敬され、今日に及んで居りますが其名も著き神秘なる一例を挙げると、明治ニ十一年の大暴風の際、倒れたる神木が榎で太古から良い縁を授かり悪い縁を取り除く縁結びの神として崇敬され一夜の間に自ら起き直り今尚森々として繁茂し榎の大木が自然の造形其ままに四季折々の変化を遂げ、参拝者の心を慰め鬱蒼たりし千古の杜も依然として尊厳を保持せられて居るのであります。
先の、福岡都市計画事業塩原地区区画整理事業の実施に伴い、新大橋駅前一号線「新大橋駅より北方三〇〇メートル先の下辻堂井尻線に交差する」幅二十二メートル道路が境内地中央部を縦断することとなった為、神殿を新築移転、諸設備の改装の止むなきに到った次第であります。昭和五十三年境内地模様替え報告祭を奉仕して、諸工事に順次着工、その間御神霊御加護のもとに関係者各位のご協力に依りまして、昭和五十七年十一月八日本殿遷座祭、同年十一月二十日本殿遷座奉祝祭の重儀を滞りなく斎行致し、昭和五十九年三月を以ちまして境内整備事業の一切を完了致した次第でございます。

境内末社
 福徳稲荷大神
 金伯五金大神
 伊豆能売大神
 のどの大神

主要例祭
●恒例祭
一月一日 歳旦祭
一月三日 元始祭
一月十五日 成人祭
二月四日 節分祭
二月十一日 建国記念日
四月十四、十五、十六日 春季大祭
七月十四、十五日 夏季大祭(茅輪神事)
十月一、ニ、三日 秋季大祭
●月例祭
毎月一日、十五日 
諸祈願
交通安全、商売繁昌、初宮、家内和合安全、厄除、海上安全、入試、新築開店清祓、還暦、古希、七五三、その他
●外祭
地鎮祭、上棟祭、竣工祭、水神揚、家祓祭、その他

ちはやぶる 神のかためし わが国を 民とともにも 守らざらめや
ご朱印
鎮座地区福岡市南区
郵便番号815-0032
所在地福岡市南区塩原4丁目11-1
地図座標33.561239,130.428699
公式HP 
福岡県神社誌
【社名】 熊野道祖神社 [A00-1729]
【所在地】 福岡市大字塩原字イトリサヤ
【祭神】 伊邪岐命、九那斗神、八衛比古神、八衛比売神
【由緒】 公簿神社明細帳には無格社熊野神社の祭神は伊邪岐命にして由緒不詳なりとす。社説に曰く、熊野神社は古来福岡市大字塩原字射場の美はしき森の中に斎き祭り社殿今に存す。其の創立は神功皇后御征韓の砌とも云ひ伝ふと。又道祖神の祭祀に就て述ぶる所に依れば、九那斗神、八衛比古神、八衛比売神は同字いとりさやに道祖神として祭祀あり、其の鎮座の由来詳かならずと雖、明治以前より既に塞神又は道祖権現、或は葛権現と称して奉斎せられ、今日に及びし事は古老の伝ふる所にして同大字氏神たる地禄神社の祭礼に当りては必ず共に祭祀せられ其の慣習今尚残れり。
道祖信仰の対象たる御神木櫨の大木は七百年の樹齢を保ち繁茂して森を為す、是れ即ち神籬信仰にして神霊の憑り給ふ所なり、而して神籬の安置する所即磐境にして今尚厳存し、霊験顯たかなりとして御神徳を仰ぐもの其の跡を絶たずと。尚同祭祀に就きて「祭神伊邪岐命は大字塩原字射場に熊野神社として祭祀し、九那斗神、八衛比古神、八衛比売神は同字いとりさやに道祖神として祭祀ありしを昭和十二年四月十五日熊野神社と合併移転新築の御沙汰あり同年七月九日熊野道祖神社と改称せらる」と云ふ。
【特殊祭事】 正月初巳日、開運家運隆昌祈願祭、七月十三日より十五日迄晝夜に亘り悪疫祓除祭を行ひ、又毎月巳日通夜開運祭を就行す。
【例祭日】 七月十五日
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公開日2013/03/17
更新日2013/03/17
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