[0084] 鳥飼八幡宮(とりかいはちまんぐう)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0084
神社名 鳥飼八幡宮(とりかいはちまんぐう)
神社別名 
参拝日 2011/12/11
再訪日 2013/04/13
社格  県社
その他社格 
ご祭神応神天皇、神功皇后、玉依姫尊
由緒等
鳥飼八幡宮

御祭神
中殿 應神天皇
左殿 神功皇后
右殿 玉依姫尊
讃岐金刀比羅宮大神合祀

年中行事
一月一日 歳旦祭
一月三日 元始祭
二月三日 星祭節分祭
五月十九日 金刀比羅宮祭
七月十九日 夏越祭
十月十九日 秋季大祭
十一月十五日 七五三子供祭
十二月四日 宮座献饌祭
十二月三十一日 大祓祭除夜祭

◎御社頭諸祈願
神前結婚式・安産祈願・初宮詣・厄除祈願・還暦祝寿・病気平癒・家業繁栄・商売繁昌・家内安全・交通安全(車祓)・社運隆昌・等

◎出張祭典
地鎮祭・起工祭・竣工祭・開所式・序幕式・家祓・神床祭・船祓・水神祭(井戸祓)・神葬祭・祖霊祭・霊祭・慰霊祭・入魂祭・清祓式

福岡市中央区今川二丁目一番十七号
鳥飼八幡宮社務所 (七四一)七八ニ三番

●御参拝・社務所に御用の方は、旧通り社殿正面前に車の乗り入れ口が有ります。

鳥飼八幡宮

社頭祈願いたします。
◆神前結婚式・安全祈願
◆初宮詣・厄除祈願
◆還暦祝寿・病気平癒
◆商売繁昌・家業繁栄
◆家内安全・交通安全(車祓)
◆社運隆昌・他

出張祭典いたします。
◆地鎮祭・起工祭・竣工祭
◆開所式・序幕式
◆事務所祓・家祓
◆解体安全祭・水神祭(井戸祓)
◆神床祭・入魂祭・清祓式
◆船祓・神葬祭・祖霊祭
◆霊前祭・年祭・慰霊祭・他

福岡市中央区今川二丁目1の17 ☎(092)741-7823

息吹(いぶき)の大銀杏

参道の大銀杏は大東亜戦争で焼夷弾の直撃をうけ炎上し、真っ黒に焼け焦げました。数年後、黒こげの枝から新芽が息吹き、生命力をみなぎらせ甦りました。根が大きく隆起し、参道を黄色に染めるほどです。いつしか、この大銀杏に願うと、生命力に溢れ身も心も美しく甦える、と篤く信仰されるようになりました。注連縄に、縁むすびの「ご縁むすび」の紐を結ぶと、願い事がかなうといわれています。

千年蘇鉄

千年蘇鉄は、神功皇后の従者であられた武内宿禰が旅の安全と神功皇后の「胎内の御子」の無事なご出産を祈願されたこの地より蘇鉄が生えた、と伝えられています。
このことにより、願い札に祈願し蘇鉄の葉に下げると願いが叶う、と厚く信仰されています。
武内宿禰が四百年生きたという伝説からこの蘇鉄のところで長寿を願うと長生きできると伝えられています。

不老水

鳥飼八幡宮の末社黒殿神社に祀られる武内宿禰は四百年も長生きしたという伝説から、「不老長寿」「美肌」の御神水、不老水と言われています。

鳥飼もうで
むすびの神・鳥飼八幡宮由緒記
 
鳥飼もうで

はじめに
悠久の昔より、人々の暮らしの中には神社がありました。
神社に連綿と伝えられてきた「祭り」には、地域の習俗風習が色濃く反映し、その集合が日本人の意識となっていました。
万葉集では我が国のことを、言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす國と述べてあります。
私たちは、日本の尊さと生かされている感謝を抱くことで、幸せに暮らすことができます。そのためにも、日本の伝統、日本を愛する気持ち、日本人の誇りを再認識することが大切だと考えます。
みなさまが地域を見直し、日本の心を思い返すお手伝いを鳥飼八幡宮ができないかと考え、その書を出版する運びとなりました。
最後となりましたが、この書の出版にご協力いただきました氏子崇敬者の皆様、平野神社さま、野田修司先生、重松久幹先生、重山知久氏、高野龍也氏に心より厚く御礼申し上げます。

もくじ
一、鳥飼八幡宮ご由緒
二、境内案内
三、鳥飼八幡宮の社叢
四、神事・祭事案内
五、授与品と縁起物
六、神社参拝のこころ
七、願い札と達成祈願
八、鳥飼八幡宮人物伝 平野國臣
 
鳥飼の神話と歴史
一夜の縁を、むすんで千歳

創建から千七百年とされる鳥飼八幡宮は福岡でも指折りの古社です
縁結びの神として願い事成就の神として今日も御神徳を信じられる当宮の歴史は女神さまと村人の心のふれあいから始まりました
 
鳥飼八幡宮の誕生
姫神さまが言祝いだ池

日本の聖母・神功皇后
まだ日本が倭と呼ばれていた千七百年も前のこと。後に日本神話の神となった神功皇后が国を治めていた、といいます。
神功皇后は、お腹に後の応神天皇となられる御子を抱えながら、国内の反乱を鎮め、海外に船を進めて(三韓征伐神話)、国を安らかにしました。勇敢で強いだけではなく、家臣や民にもやさしい女性であらせられ、今日でも聖母と崇敬されています。

ふくろうの導き
皇后が朝鮮半島から凱旋し、都へと戻る途中、筑紫国の姪浜という漁村に立ち寄られました。時は寒風吹きすさぶ一二月四日のこと、厳しい道行きでした。
上陸してもそこは深い森。人影が見当たりません。冬の陽はあっという間に水平線に沈み、暗い闇に包まれました。
お腹の御子をかばいながらの船旅にも、慈愛に満ちた笑みを絶やさない神功皇后でしたが、さすがに心細さは隠しきれません。ふと夜空を見上げると、白く輝くふくろうがこずえにとまっていました。
ふくろうは静かに羽ばたくと、神功皇后の頭上をめぐり、ご一行を導くように飛んでいきました。皇后は無心に、ゆっくりと飛ぶ白い光を追って歩きはじめました。

女神の感謝がご縁
ご一行はやがて、鳥飼村の平山という小さな集落にたどり着きました。村人たちは、神功皇后ご一行の難儀に驚き、かがり火と精一杯のごちそうでもてなしました。
「御子の将来にとって幸先がいい」と神功皇后はお慶びになり、自ら村人の盃に酒を注ぎ、感謝の言葉をかけられました。
村長は異例の栄誉に感激しお宮を建て、御子の将来と村の繁栄を祈念しました。このお宮が千七百年の歴史を持つ鳥飼八幡宮の創建と伝えられています。
 
祭祀と信仰の継承
お神さまと氏子のお陰

度重なる危難を越えて
村人の子孫である鳥飼氏を中心に祀られてきた若八幡宮は、八幡信仰が広がった鎌倉時代までに広大な神領を有するなど、盛んになりました。
南北朝時代、肥後の菊池武光率いる南朝方と北朝方の戦闘に巻き込まれ、神職がご神体を奉じて避難したものの、社殿は焼かれ、旧記、古文書や宝物類も失われました。
その後再建されましたが、豊前の戦国大名・大友宗麟の武将、岩屋城主・高橋紹運の夜襲を受けます。鳥飼宮内少輔氏勝父子が応戦したものの討ち死にし、社殿などの建物は再び焼失。祭祀はいったん途絶えました。

民の力で再建なる
鳥飼の八幡宮再建の機運が高まったのは、黒田長政公が筑前藩主につき、福岡城下町が整備された江戸時代の初めでした。長政公が、荒廃していた鳥飼村八幡宮社地に別邸を建てることになり、平山式部丞重道が現在の鎮座地に仮宮を経て、遷したのです。
寛永二(一六二五)年には、氏子によって新たに神殿を建立し、正遷宮を行いました。社殿は重道を中心に、民衆の力だけで再建されました。寛永一八(一六四一)には古式の年中行事を再開するなど、氏子の尽力により信仰の形が取り戻されてきました。

むすびの神・鳥飼八幡宮
大東亜戦争時の福岡大空襲(昭和二〇年六月一九日)では戦火が当宮にも及び、再び古文書や宝物が失われましたが、本殿は奇跡的にも火災を免れました。
当宮は何度も危難に遭いましたが、そのたびにお神さまと、氏子の方の変らぬ信心のお蔭で祭祀は継承されてきました。
今日も、南当仁・当仁・鳥飼・草香江・別府・簀子・福浜校区の氏子として、また男女良縁のむすびの神として、篤く信仰されています。

神功皇后御駐輦の碑
鳥飼八幡宮旧社地は、明治三五年に福岡女子師範学校の敷地になりました。大正一二年に有志が校内に「神功皇后御駐輦の跡」と記した石碑を建てました。現在は福岡市立南当仁小学校裏門前県営住宅の中にあります。
 
お神さまがおわす御神殿
鳥飼八幡宮境内のご案内

鳥飼八幡宮本殿
鳥飼八幡宮のご本殿は、一つの建物のように見えますが、三柱のお神さまをお祀りしています。
中殿には、応神天皇をお祀りしています。応神天皇は古事記や日本書記では第一五代で、三世紀半ごろ日本を治められていました。神功皇后の御子で、鳥飼村を訪れた後、現在の宇美町で誕生されたと伝えられています。鎮護国家や弓矢のお神さまとして崇敬されていますが、当宮では、厄除、文化のお神さまとして崇敬されています。
左殿のご祭神は、応神天皇の母君である神功皇后です。子安のお神さまであらせられます。右殿のご祭神は、玉依姫尊です。初代天皇である神武天皇の母君で、日本人とお神さまのご縁を結ばれた方で、現在は男女の良縁をむすぶお神さまです。
八幡神社は全国に二万社あるといわれていますが、中でも当宮は最も歴史があるお宮の一つだと考えられています。本殿は、寛永二(一六二五)年の正遷宮の際に建築された歴史ある建物です。

讃岐金刀比羅宮合祀
ご本殿には、金刀比羅宮(香川県)から、ご祭神の、航海・交通安全の神である大物主大神と崇徳天皇を合祀しています。当宮を参拝した長州の高杉晋作先生のゆかりです。

鳥飼八幡宮神門
正門の参道には、神門がご神域を守っています。神門の参道側には狛犬が、本殿側には神将が配される珍しい造りです。神門は寺院建築の影響があるといわれています。
 
さまざまなご縁をおむすびください
鳥飼八幡宮境内社

一、黒殿神社
武内宿禰/延命長寿の神
鳥飼黒主/鳥飼氏始祖

神功皇后、応神天皇を補佐した家臣武内宿禰は四百年の生を得た伝説的な人物です。延命長寿のお神さまですが、当宮創建にも関わりのあるお神さまです。同社には、神功皇后をもてなした鳥飼氏の始祖もお祀りされています。

二、盬竈北辰神社
武甕槌神/相撲の神
経津主神/武芸上達、勝利の神
塩土翁神/料理の神
天御中主神/教育の神※合祀

武芸から料理まで、多彩なお神さまがお祀りされています。鳥飼八幡宮では古来武術が盛んに行われていました。

三、恵比須神社
八重事代主神/商売繁昌の神
狭依姫神/美容の神

恵比須さまは、漁業や海運のお神さまが転じて、福をもたらす商売繁昌のお神さまとして崇敬されています。また同社には、宗像三女神の一柱で、美容のお神さまである狭依姫神も合祀されています。エステティックサロンの経営者など美容関係者から篤く崇敬されています。

四、天満神社
菅原道真公/学業の神
倉稲魂命/農耕の神

学業のお神さまとして高名な天満神社です。本殿右側の「なでうし」は、病気やけがなど自身の不調な部分と、「なでうし」の同じ部位をなでると病気平癒のご利益があるといわれています。一般的にお稲荷さまとして知られる、農耕・商売のお神さま倉稲魂命も合祀されています。
 
季節を感じてお神さまを感じる
ご神気満つる鎮守の杜

社はお神さま自身
神社はたいてい、こんもりとした森に囲まれています。神社を囲む森を「鎮守の杜」とか「社叢」と呼びます。
当宮は福岡市の副都心に鎮座しています。都市開発が進み、鳥飼八幡宮の社叢は貴重な都会の縁となりました。境内には松、桜、銀杏、ソテツの木が自生し、荘厳なご神域を形成しています。二十年ほど前は、ふくろうが住んでいた、豊かな森林でした。
鎮守の杜に立つと、お神さまに包まれるような安心感を感じます。はるか昔、お社が建てられる前は、神聖さを感じる森や山、岩などをお神さまとして祀っていました。鎮守の杜は、神社の原型であり、お神さまの現れなのです。鳥飼八幡宮の社叢は、鳥飼のお神さまがおわし、そこに住む小動物は、神の御使いです。お神さまを感じ、季節感を味わいながら、当宮の社叢をお楽しみください。

萌える生命力 参道の大銀杏
参道の銀杏は福岡大空襲の時に炎に包まれ、一度は黒こげになりました。戦後数年して新芽が出て見事復活。今日でも、秋には参道を黄色の絨毯にするほどの勢いです。銀杏の葉をお守りにも。
 
願いが叶う 千年ソテツ
社務所前のソテツは樹齢千年を越える古木です。神功皇后の家臣武内宿禰が、お腹の御子と旅の安全を祈願した際に生えたと伝えられています。願い事を札に書いてソテツの葉に下げると成就します。

長寿と美肌 不老水
境内に湧き出る御神水は、四百年の長寿を全うした武内宿禰にちなみ「長寿」と「美肌」の水として親しまれていました。鎮守の杜に清められ、養分をいただいた、美味しい水です。

鳥飼八幡宮の意匠 ふくろうの鳥飼さん
神功皇后を村へ導いたふくろうの伝説が残るように、鳥飼村の森は多くのふくろうが住んでいました。近年までふくろうが暮らした当宮の社叢は「ふくろうの森」の名残です。
静かに当宮を見守り、役目を果たされたのか、ふくろうはこの地を離れました。崇敬者の方をやさしく見守り、ご縁をむすぶ象徴として「ふくろうの鳥飼さん」が誕生しました。ふくろうは「不苦労」「福朗」で、とても縁起の良い鳥です。「ふくろうの鳥飼さん」をご愛顧いただくようお願い申し上げます。
 
お神さまも参加をお待ちですよ
鳥飼八幡宮のお祭り

お祭りは、お神さまに奉納する神事です。捧げるものは、芸能や神饌などですが、お神さまが一番慶ばれるのは、参加される方の笑顔です。機会があれば、積極的にご参加ください。

縁むすびの宴(毎月開催)
古より、むすびの神・玉依姫尊のご縁で当宮には男女良縁の祈願が多くありました。
玉依姫尊は、初代天皇神武天皇の母君であり、日本列島と日本人の縁を結んだ神として、女性の品格の神として篤く信仰されています。
良縁祈願と交流会で、男女のご縁を結ぶきっかけとなる機会をご提供しています。

宮座献饌祭(十二月四日)
神功皇后が鳥飼村を訪ねられた際、鳥飼氏一同がお腹の御子(後の応神天皇)の将来をお祝いして、夕餉を捧げました。
鳥飼八幡宮の由来となった一夜のご縁を、捧げた饗膳を模した神饌を供え、再現する神事です。当宮だけの特殊神事で、中断もありましたが千年以上続いています。

年中行事ご案内

1月 1日:歳旦祭 3日:元始祭
2月 3日:星祭節分祭 10日:建国祭
5月 19日:春祭金刀比羅宮祭
7月 19日:夏越祭
10月 19日:秋季大祭
11月 15日:子供祭七五三詣
12月 4日:宮座献饌祭 31日:大祓祭除夜祭

鳥飼八幡宮では、クラブイベント「鳥飼もうで」なども開催しています。また、境内にある参集殿・斎館・振武館など、祭事会場としてお貸ししています。年中行事、祭事会場に関しては、当宮ホームページをご参照ください。
 
お神さまといつもいっしょ
お守り・お札・縁起物

社務所でお頒けしているお守り、お札、縁起物などの授与品は、お神入れの神事をしています。つまり、小さな神社、お神さまそのものです。

お札を祀って空間を浄化しましょう

お札は、自宅や職場を清浄にし、お神さまの存在を身近に感じることができる授与品です。正式なお祀りには、神棚や供物などが必要ですが、難しく考えずお祀りしましょう。一人暮らしの方、夢や目標がある方こそ、悪いものから守護され、良いご縁を結んでいただくために、お祀りすることをお勧めします。
※家庭でのお祀りとは、お神さまとともにある「自分」を実感することです。感謝の気持ちで接することが大切です。いずれ正式な作法でお祀りしていただければ、幸いです。

<お札のまつりかた>
①神社からお札を授かる
氏神さま、崇敬する神社から、お札を授かりましょう。
※天照皇大神宮、氏神さま、崇敬社の三枚のお札をいただくのが正式です。
②お祀りする部屋を掃除する
お祀りしたい部屋をきれいに掃除して、お神さまをお迎えします。
③神棚がなくても大丈夫
お札は、部屋の北側、西側のなるべく高い所にお祀りします。神棚が置けないという方も、飾り棚をつけたり、家具の上などに工夫してお祀りしましょう。
④日々お神さまを感じましょう
気がついた時に、お札に向かって礼拝します。二拝二拍手一拝。お祀りする部屋はつねに掃除し、お札が汚れないよう気を配ります。

鳥飼八幡宮の神札
男女の良縁、願い事成就、長寿と美容にご利益があると古くから信仰されています。
 
氏神信仰が神道の基本です
お神さまへ日々感謝

いつでも見守ってくださる氏神さま

日本には八百万のお神さまがいらっしゃいます。お神さまが多すぎて、どのお宮にお参りしたらいいか分からない、という質問を受けますが、願い事にかかわらず、まず氏神さまにお参りしましょう。
氏神さまとは、今住んでいる地区を守って下さる、今現在一番ご縁が深いお神さまです。それから○○のお神さまといわれるお宮へのご参拝をお願いします。
氏神さまが分からない方は、一番近くにある神社へご参拝ください。お神さまとのご縁も大切にしてください。

願い事をかなえる参拝のこつ

現状の問題点が見つかったこと、願い事があることに、まず感謝したいものです。お神さまは、すべての方に分けへだてなく、願い事成就を助けて下さっています。お神さまを信じて、仕事や勉強、病気治療に専念すれば、おのずと願い事はかなうのではないでしょうか。お神さまを信じられれば、自分を信じられるものです。
何度も参拝して、その度に決意を新たにしましょう。願い事に何らかの結果が出たら、お蔭詣り(お礼参り)に出向かれて下さい。
 
お神さまに願い自分に誓う
目標実現祈願状を書きましょう

鳥飼八幡宮の千年ソテツの葉に願い札を掲げると、願い事がかなうといわれています。また、夢や目標は紙に書いて、折にふれて見直すと無意識が働いて、実現しやすいそうです。書き方の一例を示しますので、ぜひお試しください。

祈願状の書き方
願いごとを「目標」にしましょう。そうすることで、行動に移しやすく、お神さまの助けも得られやすくなります。まず願いごとがかなった状況を(期日・結果・報酬など)書き出します。本当に自分が望む姿を、遠慮なく書いて下さい。次に成長した自分がしたい社会貢献を、記入します。そして、実現までの途中経過を二つ書き、最後にたった今できることを書きます。あとは毎日見返して、行動あるのみ!です。

※書き方例
"夢"を"目標"に
[二〇一五年四月ごろまでに、私はこんな目標を実現します。]
家族そろって仲良しで、オシャレに快適に暮らせる、ファミリー向けのアパレルブランドを立ち上げる。私たち家族だけではなく、たくさんのファミリーの笑顔に囲まれて暮らしています!

目標実現後に貢献したいこと
世界中の困っている人に、確実に支援物資が届くようなルートをつくって、衣料を送りたい

[二〇一三年ごろの私の姿]
リサイクルショップから、家族でコーディネートできるオリジナルアイテムを発売

[二〇一〇年ごろの私の姿]
路地裏に隠れ家的な、ファミリー衣料・グッズのリサイクルショップをオープンする

[目標に向かって今できること]
使える子供服を友だちにあげる。不要品を海外へ支援物資として送る

鳥飼八幡宮で願い札と目標実現祈願状をお頒けしています。
初穂料 五百円
 
維新回天の魁 平野国臣
我が胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば 烟はうすし 櫻島山

筑前藩士から国の臣へ
志士と呼ばれた若者が主体となって、国を変革した幕末・明治維新。坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作・・・。誰もが知っている高名な人物に影響を与えた人物が福岡(筑前藩)にもいたことをご存知でしょうか?平野二郎國臣先生がそのお方です。
平野先生は、黒船騒動を目の当たりにして、国事に携わることを決意した最も初期に立ち上がった志士です。「私心を捨て、日本のために働く」という決意で「國の臣」と改名し、家族に別れを告げて、たった一人で混迷する幕末に身を投じました。
当時は「藩」が「世界」だったので、日本の家臣になるということはいわば「自由になる」という意味でもありました。
いち早く倒幕して共和政治を布くべきだ、という論文を書くなど、早くから次世代の明確なビジョンも持っていました。冒頭の和歌は、薩摩で倒幕論を受け入れられなかった時の悲哀を詠ったもの。政治情勢などにも、まったくブレない熱い思いがほとばしっています。
平野先生は大政奉還の三年前(一八六四年)に志半ばで倒れましたが、倒幕・共和政治といった平野先生のビジョン通りに維新回天はなりました。

筑前藩士から国の臣へ
鳥飼八幡宮の周辺は、福岡藩の下級武士が住む町で、平野先生の生家は当宮のすぐそばにありました。折にふれ当宮への参拝をされたそうです。現在、平野先生の生家跡は平野神社になり、顕彰しています。また、西公園(福岡市中央区)には平野先生の銅像が建っています。当宮でも社務所に「平野國臣先生資料室」を設けております。お気軽にご見学ください。
 
鳥飼八幡宮参拝のご案内
住所 福岡市中央区今川2-1-17
電話 092-741-7823
HP http://hachimansama.jp/

福岡地下鉄空港線【唐人町駅】下車二番出口から徒歩5分
西鉄バス【地行】バス停から徒歩1分

鳥飼八幡宮由緒書 鳥飼もうで
平成ニ二年七月一日発行
発行社 鳥飼八幡宮

参拝のお作法
神社の参拝は、お神さまと対面する神聖な時間。自分の正直な心と向い合う、お神さまからいただいた大切な時間。参拝の作法は、落ち着いて本来の自分に戻る『手続き』なのです。

<手水の使い方>
手と口を浄めることで、全身を清めたことになります。罪やケガレがない、ありのままの自分になってお神さまに参拝します。
①柄杓に清水をくんで、左手を清める
②柄杓を持ちかえ、右手を清める
③再び柄杓を持ちかえ、左手の平に水をためて口をすすぎ、また左手を清める
④柄杓の柄を水で流して、元の位置に柄杓を伏せて置く

<二拝二拍手一拝>
参拝は「生かされている」ことを、お神さまに感謝することが基本です。お神さまやご家族、ご先祖への感謝の気持ちをまず、伝えたいものです。
①神殿に向かって軽く頭を下げる。お賽銭を入れ、鈴がある場合は鳴らす
②二回深く頭を下げる
③両手を広げて、柏手を二回打つ
④最後に深く頭を下げる
 
ご朱印
鎮座地区福岡市中央区
郵便番号810-0054
所在地福岡市中央区今川2丁目1-17
地図座標33.587001,130.366247
公式HPhttp://hachimansama.jp/
福岡県神社誌
【社名】 鳥飼八幡宮 [A00-0011]
【所在地】 福岡市西町
【祭神】 応神天皇、神功皇后、玉依姫命
【由緒】 夜に入りて此地即旧鳥飼村平山に至らせ給ふた際、此地に在りし鳥飼氏の人々夕の御饌を奉る。皇后御悦斜ならず、今度の一挙は胎子の為なればとて自ら諸軍卒に盃を賜ひ、大に凱旋を祝し給ふ。夫より年月を経て鳥飼氏の後裔此地に社を建て若八幡宮として斎き奉れり。以来鳥飼氏の子孫数十世に亘りて奉仕せしが、乱世に至り鳥飼氏干戈に暇なかりし為、香椎宮武内氏の家族を招きて社務を司らしむ之を香椎氏と称せしが後此地の名称に従ひ平山と改む、現時の鳥飼八幡宮の神職平山、山内両家は其の裔なりと云ふ。其後黒田長政当国領するに当り、福岡城を築き次で別墅を此地に卜するに及び、慶長十三年(附記神社明細帳には「慶長七年」と記載し、又平山家累世社の沿革を記したる記録の社記に「慶長七年(一説十三年ともあり)」と記す、されど筑前国続風土記、八幡宮本紀(貝原好古編鳥飼若八幡宮御縁起)(洛陽散人吉田靭負敬識)、金子子爵碑文等総て「慶長十三年」と記せり。随つて当社の沿革にも慶長十三年の説を採れり)神殿を現時の西町の地に遷し奉る。是より此附近を茶屋内、又茶屋の山と称す。爾来鳥飼村の住民等毎年旧暦九月十八日大行事小行事と称へ種々古雅なる神饌を供ふ、是皇后凱旋の旧式を存すと云ふ。後古宮附近は士人掘川氏の邸内に入りしも猶小祠を建てて祭り奉りしと云ふ。
而して此の古宮跡の地は明治三十五年福岡県女子師範学校建設さるるに及び、其構内に入れり、現時茅笹雑木等茂れる小高き所に大なる(なのみ)の切株残れり、大正十一年三月有志相謀りて若八幡宮移転跡地に「神功皇后御駐輦之跡」と記せる標木を建つ。大正十一年三月二十二日畏くも皇后陛下同校に行啓あらせられ、親しく玉歩を此所に印させ給ひ、特に此地を撮影して献るべき旨御沙汰あり、乃ち台命を奉じ謹製して奉献す。大正十二年五月鳥飼宮の経費を以て標木を撤し新に石造の記念碑を建て、玉垣を繞らし永久保存の企をなせり。
明治五年十一月三日県社に列せらる。
尚筑前国続風土記に曰く、鳥飼八幡宮感応院西町にあり、其始は鳥飼村松林の中に鎮座し給ふ。(今も其跡に神木の松残れり)長政公入国の後、鳥飼村に別墅をかまへ給ふ。此社其内にありし故に、慶長十三年今の所に移し奉らる。社家の説にいひ伝ふるは神功皇后新羅より帰らせ給ふ時、十二月四日姪浜より上らせたまひ夜に入りて鳥飼村に至り給ふ。御扈に候ひける鳥飼氏の人、夕の膳を奉る。皇后御悦び斜ならず、今度の一挙は胎内にをわす皇子の御ためなればとて、其生さきを御祝をはしまして、近臣等に御手づから御盃を給はりける。後世其地に御廟を建て若八幡と号し奉るとなん御社の中殿には八幡大神を祝ひ、左には宝満大神、右には聖母大神鎮座し給ふ。側に彼鳥飼氏の始祖をも祭り侍るとかや。いにしへは神領多かりしと云伝ふ。今に至りて鳥飼村の田の字に御供田などの名残れり。其後村中より三十六石の神田を寄進し、恒礼の祭礼を勤めける。又其後近代乱世の時、夫さへ無くて、九月十九日形ばかりの祭を執行ひしが、承慶元年御社の側に宮司の坊を建て、鳥飼山感応院鎮護寺と号す、天台宗の僧住す。神領二十石忠之公より寄附し給ふ。九月十九日には流鏑馬あり。
筑前続風土記拾遺に曰く、鳥飼村(別府、大鋸、谷、荒戸、地行、伊崎)日本紀に、垂仁天皇の御世、諸国に鳥飼部を始めて置かれし由見えたり。当村の名も其鳥飼部の住たりし故の遺名なるべし。古来より此村に鳥飼氏の人ありしを、若八幡宮縁起にも見えたり。
若八幡宮宮跡。村の東、士人掘川の宅中に有り。古昔神功皇后三韓より御凱旋の時此地に在し、鳥飼氏の人、御饌を献りしより、後世若八幡宮を勧請せしが、慶長十三年福岡西町に遷し給へるよし本編委しく出たり。(本編に此所に神木の松の木の残れるより見えたれども今は無し雑木の立る小なる森の下に小祠あり。)
八幡宮本紀に曰く、十二月四日、神后勝馬の浜より船に乗らせ給ひ、衵浜(早良郡姪浜にあり今訛りて「あくま浜」と云ふ)につかせ給ふ。此所にて御衣裳の濡たるをほし給ひしにより名けて衵浜と云ふ。此時神后の通らせ給ひし道とて今に海辺に有り、若し過りて其道を隘くすること有れば必ず崇ありとて、村人甚だをそれを為す。御船より揚らせ給ひ、其夜鳥飼村(姪浜より半里東南に在是も早良郡の内なり)まで御座を移さる。時に其村長(鳥飼氏の人なり)夕の御膳を奉る。神后悦ばせ給ひ、御手づから諸臣に御盃を給はり酒をすすめ給ひ終に此所に宿らせ給ふ。後にかの村長なりし人の遠孫其所に御社を建てて神后八幡を祝ひ奉り、社号を若八幡と号す(若の一字社の秘説なり彼の村長なりし人をも後代同殿の傍らに祭り侍る)慶長十三年同村の海浜松林の中に遷座なし奉る。(以上若八幡社説)
鳥飼若八幡宮御縁紀に曰く、上略。抑当社筑前国早良郡鳥飼若八幡宮は蓋当所惣社にして万民安堵の霊檀なり。中略。初皇后凱旋の砌此所よりをりらせ給ふ。時に日暮、夜に入りて夕御膳をたてまつるとなむ。皇后御よろこびのあまりに、恭くも御手づからに板にたたせ給ひて、此度の事はひとへに胎内にをはします若の御ためなればとて、土卒に大御酒を給はりけるこそありがたけれ。則ち其所をいわひ奉りて若八幡と号したてまつりけり。当社は鳥飼村に鎮座有しを慶長十三年の春にいたりて、仮殿遷宮ましまして此の所にうつりをはします事十八年。其後寛永二年の秋鳥飼村の氏子正殿を建立して正遷宮をなし奉る。時に祠官重道拝殿を営むといへり。中略。中は若八幡宮、左は宝満大神、右は聖母大神、今一座相殿に在す、秘伝なるが故にあらはに記しがたし。是を三座四神の大事と云ふて一社の神秘なり。初め鳥飼村に鎮座の時、鳥飼氏の祖たち御供につかへまつり侍りき。其の子孫ありて御神事の時は今につとめて来れりとなむ、殊勝の事なり。下略。
太宰管内志に曰く、早良郡に鳥飼村有て福岡城の西端となれり。され此村に鳥飼八幡の社とてあり。其社家の伝説に神功皇后新羅より帰らせ給ふ時、十二月四日姪の浜より上らせ給ひ、夜に入て鳥飼村に至り、御扈に候ひける鳥飼氏の人、夕の御膳を奉る、皇后御悦斜ならず、此度の一挙は、胎内の皇子の御為なればとて其先生を御祝ましまして、近臣等に御手づから御盃を賜はりける。後世此地に御社を建て若八幡と号し奉ると云ふ。中殿八幡大神、左宝満大神、右聖母大神、又鳥飼氏の始祖を祭る、下略。又当社由緒記の一説に曰く、神功皇后に薦め奉られたる御饌に象りて、毎年十月十八日に鳥飼八幡宮に御供を奉ること今に絶えず。鳥飼氏の末裔と称する家十二軒あり。二軒づつ当番を定めて之を勤む、其の式古例に則り、藁苞に入れ、精進潔斎して供進す。而して其の通路に当れる鳥飼より西町に至る間の道を御供道と称す。当社は福岡城下を分ち警固神社と東西二箇の産土神にして旧藩世産子戸数幾んど三千戸に及べり、されば本社拝社瑞垣楼門神楽殿末社殿に至り壮麗を盡し地方の大社なり、と。
【特殊祭事】 神功皇后御征韓御凱旋あらせられ、十二月御上陸遊ばされて鳥飼里主の邸に入らせ給ひ、凱旋を祝し給ふ、其の後鳥飼氏の後裔御駐輦の跡に御廟を建立して若八幡宮を斎き奉祀す。
夫よりして御供苞を神饌(往古軍粮)として鳥飼氏の末裔と武内氏の末裔とが宮座として(一子相伝)連綿今に亘る。此藁苞神饌は大行事小行事にて勤め、其数二十八本を鳥飼八幡宮秋季大祭に奉饌す。神饌固めは歴代同宮司平山家山内家の両家を以て之を行ふ。両家は武内宿禰の末裔なり。
[神饌] 神饌の種類
一、ハラカ供 藁苞の中にオコワ(糯米を蒸したるもの)、四升盛四本。右ハカラ供は神功皇后及武内宿禰に奉るものと云ひ伝ふ。
二、御供苞 藁苞中にオコワ、二升盛 二十二本。右征韓将軍二十二将に奉饌するものと云ふ。
三、シシの供 (士士の供ならん)藁苞中オコワ、右征韓将卒に饗せし数幾千なるを不知、依て大行事小行事より一本づつを奉饌すと云ひ伝ふ。
其他変りたる神饌数多あれども、神祭に適合の分を用ひしなるべし。
鏡餅は神代餅搗の古式に據る。
畏れ多くも、大正十一年三月二十二日皇后陛下女子師範学校行啓の御時、神功皇后御駐輦跡にて献上申上ぐ。大正十二年五月十四日同遺跡にて久邇宮殿下御台臨の時献上申上ぐ。
【例祭日】 十月十九日
【神饌幣帛料供進指定】 大正六年十月一日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、總門、社務所、絵馬殿、神楽殿、集会所、籠殿
【主なる宝物】 剣一、刀五、槍一、鎧二
【境内坪数】 二千四百四坪九合
【氏子区域及戸数】 旧鳥飼一円、大工町一部以西今川橋以東(主なる町名、唐人町、地行東西町、荒戸町、西北湊町、東南湊町、簀子町)戸数四千二百戸
【境内神社】 塩竃神社(武甕槌神、塩土翁神、経津主神)、天満宮(菅原道真公)、恵比須神社(八重事代主神、狭依姫神)、黒殿神社(武内大臣、鳥飼氏始祖)、稲荷神社二社(倉稲魂命)
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公開日2013/05/12
更新日2013/05/12
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