[0110] 掘出稲荷神社(ほりだしいなりじんじゃ)
0110 |
掘出稲荷神社(ほりだしいなりじんじゃ) |
|
2011/12/10 |
2017/03/30 |
不詳 |
|
倉稲魂神 |
末社 掘出稲荷神社
御祭神 倉稲魂神(宇迦之御魂神)
例祭日 初午の日
御神徳 五穀豊穣、商売繁盛、家運繁栄、大漁満足
由緒
大正年間福岡歩兵聨隊兵士の夢枕に立たれ「吾は祐徳稲荷の弟なり 永き年月埋められたままである 今こそ吾を掘り出し吾を祀れ」と御神託が下りその処から稲荷神の御神体が掘り出されました
その史実に基づいて掘出稲荷神社と命名されました
此の地に御鎮座になったのは昭和二十七年九月三日であります
|
|
福岡県護国神社末社 掘出稲荷神社
別称 筑紫神社 紫武稲荷神社
祭神 倉稲魂神(宇迦之御魂神)
由緒
大正年間、旧福岡城跡は福岡歩兵聯隊の練兵場であった。
ある夜、一人の青年兵士の夢枕に男神が顕現遊ばされ、次のような神託があった。「吾は祐徳稲荷の弟なり。永き年月何処其処(不詳)に埋められたままである。吾を掘り出し祀らば、神力に依り数多の幸あるべし。今こそ、吾を掘り出し吾を祀れ」
兵士はその神に拝礼し、翌日託宣通りの場所を掘り出した。すると、いとも神々しい御神体が現れた。兵士はすぐさま城内の清浄な場所を選び、御社を建てその神を祀った。
その後、この御社の崇敬者は年年に増し、その数は弐百四拾七世帯にも及び祭祀は隆盛を極めた。
然し乍ら戦後周知のとうり軍隊は解散、其に伴い祐徳の弟君を祀る御社を護る者も居なくなりその存在をも危ぶまれた。多くの崇敬者等は此を憂い、祭祀を絶やしてはならないとの総意により正中宮(現福岡県護国神社)の境内に御遷座遊ばすことを考えた。故に昭和弐拾七年九月三日、茲に御鎮座に至ったのである。
言うまでもなく、稲荷神は五穀豊穣を司る神であり、又商売繁盛家運繁栄大漁満足をも司る神である。
尚、佐賀鹿島に御鎮座の祐徳稲荷神社は、日本三大稲荷の一つに数えられる御社である。
|
|
|
福岡市中央区 |
810-0044 |
福岡市中央区六本松1丁目1-2-1 |
33.580419,130.380928 |
|
未掲載 |
当社は福岡県護国神社の境内末社である。 |
2012/09/01 |
2017/05/07 |
神社全景 |
神社正面 |
由緒書き |
由緒書き(裏面) |
掘出稲荷案内板 |
参道 |
社殿正面 |
社殿正面 |
社殿正面 |
社殿全景 |
社殿背景 |
|