[0143] 名島神社(なじまじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0143
神社名 名島神社(なじまじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2012/03/10
再訪日 2014/09/27
社格  村社
その他社格 
ご祭神湍津姫命、田心姫命、市杵島姫命
由緒等
名島神社と名島城跡

天正16年(1588年)、九州を平定した豊臣秀吉は、この地に城を築くよう小早川隆景に命じ、名島城を九州守護の拠点としました。慶長5年(1600年)には福岡藩初代藩主黒田長政が入城しましたが、福岡城の築城に伴い廃城となりました。また、名島神社は当初、神宮ヶ峯山頂にありましたが、築城の際に現在の場所へ移されました。江戸時代までは名島弁財天社と呼ばれていましたが、明治維新の神仏分離令により、現在の名島神社となりました。祭神は、宗像三柱姫大神です。

福岡市

一、御祭神
宗像三女神 市杵嶋姫命 湍津姫命 田心姫命

一、御由緒
宗像三女神は、天照大神の御子であらせられ、神功皇后御崇敬し給う。神功皇后三韓御遠征の時、香椎の西なる黒津(黒崎)の岬より御乗船し給う。このとき諸軍勢各々その郷名姓名等を名乗りて御船に集る。その処を名付けて名嶋と云い、この時この地より宗像三女神を拝し、海路の平穏を祈願し給う。
神功皇后、新羅より帰らせ給うた時、黒津に上らせ給い、宗像三女神を勧請して、祠を建て祭り崇め給う。これが名島神社の起源である。

一、御神徳
交通安全、縁結び、安産守護、家内安全、商売繁盛、無病息災等のご守護神として崇敬殊に篤い。
六十日ごとに廻りくる、つちのとみ の日には、「己巳祭」を執り行い家内安全の御守護として「ことなし柴」を頒っている。このことなし柴の由来は、神功皇后が三韓御遠征の砌り、柴を御手折られて海上の無事をお祈りになられた由来に倣い、「ことなし柴」を頒って身の安全を祈っている。

名島神社御神殿修復・拝殿再建御奉賽芳名碑 平成二十四年八月

名島神社

【名島神社 御祭神・御由緒】

名島神社 福岡市東区名島1丁目26番1号

御祭神
 宗像三女神 市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命 天照両皇大神宮・大山祇神社・諏訪神社・白鬚神社

御由緒
 宗像三女神は、天照大神の御子であらせられ、神功皇后御崇敬し給う。神功皇后三韓御遠征の時、香椎の西なる黒津(黒崎)の岬より御乗船し給う。このとき諸軍勢各々その郷名姓名等を名乗りて御船に集る。その処を名付けて名嶋と云い、その時この地より宗像三女神を拝し平穏を祈願し給う。神功皇后、新羅より帰らせ給うた時、黒津に上らせ給い、宗像三女神を勧請して、祠を建て祭り崇め給う。今の名嶋がこれである。

御神徳
 家内安全、無病息災、知徳伎楽、縁結び、安産守護、商売繁昌、交通安全の御守護神として崇敬殊に篤い。六十日毎に廻りくる、つちのとみ の日には、「己巳祭」を執り行い家内安全の御守護として「ことなし柴」を頒っている。

御神殿
 本殿は文政十三年(1830)四月 黒田斉清公の再建に成り、神佛混淆時代の名残りを止め、神殿渡り殿には華麗なる佛閣造りが加味されている。明治初期、神佛分離のとき、拝殿は弁財天分離と共に移された。今の薬師堂がこれである。今の拝殿はその後の御造営である。名島神社正面石段下の鳥居は、黒田綱政公の建立寄進である。 

「名島神社略誌」より

主な祭りと行事
歳旦祭 一月一日~三日
初午祭 二月初
祈年祭 二月十七日
妙見祭 三月十二日
祇園祭 七月二十日
七五三祭 十一月十五日
新嘗祭 十一月二十三日
大祓祭 十二月三十一日
※六十日毎に廻りくるつちのとみの日には、「己巳祭」を執り行い家内安全の御守護として「ことなし柴」を頒っている。

【名島神社 神殿概要】

名島神社 東区名島1-26-1

本殿 正面3間 側面2間 流造銅版葺 3間向拝付 文政13年(1830) (神社記録)

名島神社は宗像三女神を祭る神社で南西に面し海を望む。本殿は正面3間に向拝柱を建て、小さな浜縁を中央1間に付け、5級の階段で縁に達する。四方に縁を廻し、四隅を刎高欄とし、脇障子を正面両端前方に付ける。珍しい位置に付けられている。正面中央に外開きの桟唐戸を設け、両脇間は蔀戸、側面前方間に両側とも引戸を入れて通常の入口とする。内部は側面中央柱通りをずれて内陣の丸柱を立てる。一段高く棚を構え、その棚を柱を挿した肘木を2段に出して(2手先出組)支える。3間とも外開き桟唐戸を入れ、縁長押と頭長押に釘隠を打って柱に止める。渦の木鼻を前方へ出して、上に台輪を置き、柱を上方で細めて禅宗の造りをしている。台輪上に出組を置き実肘木で桁を支え、組物間の中備に彫刻(中央は龍、両脇唐獅子牡丹)を入れて極彩色で飾り、全体が厨子風である。外陣は4枚の畳を敷く。天井は前後に渡す棹縁天井。
向拝角柱間に3間とも虹梁を渡し、虹梁には若葉の文様を彫り、その虹梁上中央に本蟇股(中央龍、両脇亀)を入れ、柱上は出三斗を置き桁を支え、垂木はその上に柱真を手挟みにしてのる。垂木は繁垂木で中央は18枝 両脇は16枝に配し、中央間が6尺3寸で1枝が3寸5分、この16枝を脇間寸法5尺6寸にしたと思われる。両端は破風板共13枝で配列している。側面は縁長押、頭長押を打ち、柱上出三斗を置き、中備に黒田家の小餅を入れた本蟇股を用いる。その上に2重虹梁大瓶で棟を支える。妻飾りは猪目懸魚を付ける。棟両側に千木と勝男木をのせ、その間に勝男木3本を置く。向拝柱を除く本殿は亀腹上にのり、地長押を廻す。
建立時期は文政13年(1830)と伝えられており、蟇股、肘木曲線、絵様からもその頃と考えられる。その後垂木より上を明治44年3月に修理している。

「福岡市近世社寺建築(福岡市教育委員会)」より

【名島神社 拝殿について】

明治元年(1868)神仏分離令が公布され神仏合祀が禁止され、弁財天は拝殿ととに宗栄寺に移される。名島神社の拝殿はその後に造営されたものである。その後、明治44年(1911)屋根の修理を行い、平成3年(1991)には台風19号で被害を受け、翌年改修した。

「名島の歴史」より

【名島神社 神殿修理概要】

1.現状調査
本殿の全体の傾きは調査の結果現状で問題は認められないが、内陣については正面向かって左端の柱が下がり全体が傾き、軸回しの各扉が目違いをおこし付鴨居が緩んでいた。又、随所に鼠穴や虫蝕、割損箇所見られた。
軒天井が全体的に下がってきていた。
内陣左右の羽目板が外れ、隙間が出来ていた。
各彩色は下地から浮き上がり、随所で剝落が甚だしく、漆塗の扉や框等は近時修理の塗り重ねにより表面漆斑が目立ち、打ち傷等が甚だしかった。
框下の枡組みが一部亡失していた。

2.修理仕様
現状の天井を除去し、四隅おりあげの格天井を新補した。
極めて虫蝕朽損の甚だしい個所に限り、材を新補した。
内陣全体の捩じれの調整を行ない、羽目板、内内陣扉の目違い等の調整を行なった。
亡失していた枡組み及び彫刻面の欠損個所を材質を合わせ、補作した。
全体の彩色は剥落止めを行ない、剥落個所を補作した。
漆塗の個所は一旦除去し下地調整を行ない、蝋色漆で仕上げを行なった。
龍の彫刻に有る金属製の髭は鍍金を行ない取り付けた。
厨子内の各御神体用厨子を新補した。
本殿内天井裏の梁及び床下がシロアリによる虫蝕朽損がきわめて甚だしかった。この為本殿修理に併せ、シロアリ防除作業を行なった。天井裏の補修を行ない、床下は本殿補強の為の別構造の柄を立て本殿内部を支えた。
老朽化している神殿外部材は劣化防止の為プレスタサイドNM(日本マレニット社)を塗布し処置した。

3.備考
内陣綿板彫刻材の裏面に「天明二年(1782)」の墨書が確認された。

名島神社概要 発行:名島神社 浦仏刻所
ご朱印
鎮座地区福岡市東区
郵便番号813-0043
所在地福岡市東区名島1丁目26-1
地図座標33.645264,130.422644
公式HP 
福岡県神社誌
【社名】 名島神社 [A00-0111]
【所在地】 糟屋郡多々良村大字名島字城山
【祭神】 湍津姫命、田心姫命、市杵島姫命
【由緒】 宗像三神は神功皇后の勧請にして其の後社は旧藩主より寄附。明治五年十一月三日村社に被定。
社説に曰く、神功皇后御征韓御出発の際、此地に於て宗像三女神に三韓服従のことを御祈請遊ばされ、従軍将士の氏名を名乗らせ給ひ(元黒崎と云ひしを此の時より名島の称あり)御乗船遊され、御凱旋の御帰途此所に御報賽の為め宗像三女神を御奉斎せられたるを起源とし其時供奉の官人をして御社創立の為め残し社務に当らしめ給へりと云ふ。中世宗像神を佛名に替へて辨財天と称せしが、明治維新の際復旧して名島神社と称し今日に至れり。
天正年間関白豊臣秀吉公社参あり、小早川隆景公当国主となり、当地に城を築かれし時社殿を改造神領を寄附せられ、其子秀秋公に至り社領没収の事あり。慶長五年黒田長政公入国と同時に名島城は廃せられしが、当社に社領を寄附せらる、以後国主より社殿の造営度々ありたり。此の頃よりは士庶民の信仰深く、別て六月二十日(現今七月二十日)の祭礼は特に賑はしく城下及遠近の庶民、舟より又陸より参詣するもの多かりしと云ふ、尚現在は巳巳日を祭日として参拝者多し。境内約六千坪、老樹繁茂し博多湾に臨み風光明媚なり。境内には神功皇后御征韓当時の帆柱石に化せりと云ひ伝ふ檣石あり、昭和九年五月一日文部省告示第一八一号を以て天然記念物に指定あり。
【例祭日】 七月二十日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十二年三月五日
【主なる建造物】 神殿、渡殿、拝殿、神饌所、社務所
【境内坪数】 五千九百五十八坪
【氏子区域及戸数】 大字名島一円 二百八十戸
【境内神社】 恵比須神社(大名持命、保食神)由緒不詳、祭神保食神は同大字宇内掘無格社保食神社として祭祀ありしを明治四十四年四月十九日合併許可。
古宮(湍津姫命、市杵島姫命、田心姫命)由緒宗像三神は神功皇后の勧請にて其の殿社は旧藩主の寄附。
豊宇気神社(豊宇気命)由緒不詳
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公開日2013/02/10
更新日2014/09/28
その他の写真
海岸前鳥居
海岸前鳥居
神社入口鳥居
神社入口鳥居扁額
神社案内板
神社入口脇石碑
神社入口階段
参道風景
魚石像
手水舎
社殿正面
社殿正面
拝殿正面
拝殿神額
拝殿内
休憩所
社務所
社殿全景
社殿全景
社殿背景
社殿背景
古手水舎
境内神社風景
ご神木
境内神社、妙見宮
境内神社、大黒天社
境内神社、恵比須社
境内神社、豊受宮
石碑
本社改築記念碑ほか
豊川稲荷神社鳥居
豊川稲荷神社鳥居扁額
豊川稲荷神社石鳥居
豊川稲荷神社狐像(右側)
豊川稲荷神社狐像(左側)
豊川稲荷神社正面
豊川稲荷神社正面
豊川稲荷神社拝殿内
豊川稲荷神社全景
豊川稲荷神社奥宮鳥居
豊川稲荷神社奥宮
名島神社由緒書き
名島城址公園入口
名島城址公園入口階段
名島城址公園風景
名島城址碑
名島城址公園からの眺望(アイランドシティ方面)
名島城址公園案内板
名島神社全景
神社脇入口鳥居
名島帆柱石案内板
名島帆柱石
名島帆柱石説明板
名島帆柱石風景
名島帆柱石裏側祠