[0342] 若八幡宮(わかはちまんぐう)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0342
神社名 若八幡宮(わかはちまんぐう)
神社別名 
参拝日 2012/03/17
再訪日 2014/04/16
社格  村社
その他社格 
ご祭神仁徳天皇、伊弉諾神、海童神、事代主神
由緒等
若八幡宮

江戸時代に書かれた『筑前国続風土記拾遺』によれば、立花道雪の家臣城戸次郎左衛門・荒津伝兵衛両家の鎮守だったものを現在の場所に移し、神殿を建てて村の鎮守としたのがはじまりだと伝えられています。昭和初期まで流鏑馬が行われていました。また、その頃までは鐘楼があり、ゆかりの深かった頭光寺銘の釣鐘がありました。
本殿は寛政十一年(一七九九)、拝殿は慶応元年(一八六五)に建築されています。平成十三年(ニ〇〇一)に補修を行い、昔の面影を伝えています。本殿の西側に位置する薬師堂は、十八世紀前半頃の特徴を細部に残しており、三間社流造の本殿に復元できることから、旧本殿であった可能性があります。境内には中世の雰囲気を残す五重の塔、正徳五年(一七一五)銘の町内最古の鳥居、絵馬など貴重な文化財が多く残されています。

平成17年 久山町教育委員会

社殿復元記念碑

社殿によると若八幡宮は、立花道雪の家臣城戸次郎左衛門 荒津伝兵衛が天正二年(一五七四)に東の小山上に神殿を建立し、久原村の産神としたとされます。
もともと当社は城戸、荒津家の鎮守であり、弘長二年(一ニ六ニ)に創立され、伊弉諾命、仁徳天皇、海童命、事代主神を祀ります。現在の社殿は本殿が寛政十一年(一七九九)に拝殿が元治二年(一八六五)に建立されました。その後歴史を経るごとに傷みが増し、修理の必要が出て参りました。
氏子のみならず多くの方々には御理解と御協力を頂いて工事に至り、工法については調査の上、文化財的価値が高いことから修復工事といたしました。今般めでたく落成の運びとなりました。
ここに事業の概要を記して後世に永く伝えるものであります。

平成十三年十一月吉日
若八幡宮建設委員会

薬師堂

本殿の西側にあるこの薬師堂は旧本殿であった可能性があり、注連縄鳥居の両側にある石灯籠の「天保ニ壬戌年八月(一六八二)」や手水石の「奉寄進 元禄十四年(一七〇一)」の銘などから、三〇〇年以上前の建物とも考えられます。木造建築物としては、町内で最も古い建物と思われ、先人達が幾度となく修復し、大切に保存してきました。また、堂内の木彫りの薬師如来様も建物同様、古くから大切に伝えられた物です。
今般、蟻害に因る傷みが酷く、樟材で作られた十一本の丸柱や残せる組物等は、再利用するために修復し、利用できない部材は、後世の参考のため、堂内に保存しています。尚、傷みがひどかった向拝の二本の柱も欅材の新しい角材と交換しました。

平成23年8月 若八幡宮氏子一同
ご朱印 
鎮座地区糟屋郡
郵便番号811-2501
所在地糟屋郡久山町久原3497
地図座標33.647225,130.501584
公式HP 
福岡県神社誌
【社名】 若宮八幡宮 [A00-0068]
【所在地】 糟屋郡久原村字口ヶ坪
【祭神】 仁徳天皇、伊弉諾神、海童神、事代主神
【由緒】 村老之説に弘長二年創立と云ひ伝ふ。明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神事代主神は久原村字木崎無格社木寄神社として祭ありしを、大正十二年八月十三日許可を得て合祀す。
【例祭日】 九月九日
【神饌幣帛料供進指定】 大正十四年二月十九日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、社務所兼神饌所
【主なる宝物】 御神鏡三面
【境内坪数】 三百坪
【氏子区域及戸数】 久原村字下久原、戸数一百戸
【境内神社】 罔象女神、天御中主神、須佐之男神、瀬織津姫神、速秋津姫神
コメント 
公開日2014/05/11
更新日2014/05/11
その他の写真
神社入口風景
一の鳥居
一の鳥居扁額
神社案内板
参道風景
ニの鳥居
三の鳥居
注連掛石
手洗鉢
手水舎
社務所
社殿正面
お潮井台
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿内
拝殿内
社殿全景
社殿全景
本殿
社殿背景
本殿右側彫刻
本殿左側彫刻
社殿修復記念碑
境内神社(不詳)
境内神社、左からニ瀬宮、祇園宮
薬師堂
薬師堂説明板
地蔵堂