[0344] 若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)
神社№  0344
神社名  若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)
神社別名  
参拝日  2012/05/03
再訪日  2013/06/03
社格   村社
その他社格 
ご祭神  応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、須佐之男神、稲田姫神、保食神、軻遇槌神、菅原神
由緒等  
若宮八幡宮

御祭神 應神天皇・仁徳天皇・神功皇后
合祀祭神 須佐之男神・稲田姫神・保食神・軻遇槌神・菅原神

御由緒
当宮はその昔、現在地の南三百米に在り、天正十四年薩摩の島津家久が立花城攻略の時焼失した。慶長五年宮林の地に再建し集落の移転と倶に慶長十五年宮林より鳥越の現在地に移転す。
当時山田の村は、猪野川の流域(字古村)に在り洪水毎に人家流出する大災を蒙るため、時の庄屋(安河内五郎左衛門)深く之を憂い官に許を乞い、現在の下山田と、上山田の地に集落を移す大業を成し遂げる。
旧本殿棟札記録に由れば、宝永四年(西暦一七〇七年)宝殿造営と在り、旧神殿は二百八十年の歳月を経る。
明治五年十一月三日、村社被定。須佐之男神と稲田姫神は境内に須賀神社として、保食神は同岩嶽神社として、同境内に、軻遇槌神は岩戸原尾崎に愛宕神社として、菅原神は岩戸原天神に菅原神社としてそれぞれ祭祀在りしを、明治四十四年九月九日、現在の若宮八幡宮に合祀されたのである。
亦大山祇神は字大谷に在りしを昭和五年石祠と共に同境内に移し別に之を祭祀す。昭和十一年神殿、拝殿を全面改築し、更に同三十八年石段、参道等境内整備が行われた。
昭和二十六年宗教法人法公布により同二十七年、宗教法人若宮八幡宮を設立認可さる。昭和六十一年若宮八幡宮の式年遷宮、並びに天皇在位六十年奉祝記念を迎えるに当り地元財産組合を始め、氏子有志多数より巨額の出資を受け、之を契機として御神殿を始め境内造物を悉く改築し、其の完成を待って同年五月大祭を執行す。
ご朱印   
鎮座地区 糟屋郡
郵便番号 811-2502
所在地  糟屋郡久山町山田1863
地図座標 33.659063,130.488648
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 若宮八幡宮 [A00-0097]
【所在地】 糟屋郡山田村大字山田字原田
【祭神】 応神天皇、仁徳天応、神功皇后、須佐之男神、稲田姫神、保食神、軻遇槌神、菅原神
【由緒】 不詳、往古は山田村字宮林に社有り、慶長十五年字鳥越に移転す。明治五年十一月三日村社に被定。祭神須佐之男神、稲田姫神は当社境内須賀神社として、祭神保食神は同岩嶽山神社として、祭神軻遇槌神は同大字字岩戸原無格社愛宕神社として、祭神菅原神は同大字字岩戸原無格社菅原神社として祭祀ありしを、明治四十四年九月九日合併許可。祭神応神天皇を字宮林に無格社八幡神社として祭祀ありしも明細帳に脱漏に付編入と同時に、明治四十五年四月八日合併許可、同一祭神に付合併と同時合霊せり。
由緒古老の云伝ふる所によれば「此所は昔時村社若宮八幡宮の宮地にして該若宮八幡宮遷移後跡地を田畑等になし耕作の用に供するは神明に対し恐れありとて応神天皇を奉祭し八幡神社と称せしなり」今尚小祠座在す。
【例祭日】 九月九日、十一月六日
【主なる建造物】 本殿、拝殿、社務所
【境内坪数】 九百七十一坪
【氏子区域及戸数】 下山田 約九十戸
コメント  
公開日  2012/06/24
更新日  2013/07/07
神社全景
神社入口風景
由緒書き
一の鳥居
一の鳥居扁額
社号標
参道階段
二の鳥居
境内風景
手水舎
注連掛石
社務所
絵馬堂
奉納絵馬
境内風景
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿正面
社殿正面
境内神社、山神社
境内神社、山神社由緒書き
社殿全景
本殿
社殿背景
本殿背景
公園入口階段
境内風景
 
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