[0429] 宝満宮(ほうまんぐう)
神社№  0429
神社名  宝満宮(ほうまんぐう)
神社別名  
参拝日  2012/05/12
再訪日  2013/09/28
社格   村社
その他社格 
ご祭神  玉依姫命、太祖権現志賀大明神、菅原神、須賀大神
由緒等  
御縁起

祭神 玉依姫命、太祖権現志賀大明神、菅原神、須賀大神

宝満宮は宝満神(玉依姫命)を祭る神社です。宝満山の竈門神社を本社とし明治時代の一時期には竈門神社と称したこともあります。
その由来は古く平安時代中期応徳二年(一〇八四)竈門神社の荘園八十庄の北境今の古宮地蔵堂の位置に勧請されたのが始まりと伝えられ、江戸時代には既に現在地に移転し、旧社には古宮の地名も生まれました。なお、汐井掛は太祖権現遥拝の地であったと言います。
江戸時代を通じ宝満宮は須恵村・上須恵村・佐谷村・新原村四カ村の産土神として近隣の信仰を集めていました。
宝満山から若杉山にかけては古来天台宗修験の霊場とされ佛教遺跡が多く残っていますが、宝満宮も峰入りに加わるなど、宝満山修験活動に加わったとされます。
戦国時代大内氏の臣杉連並(高鳥居城主)は当社を崇敬しましたが左谷(佐谷)と右谷(若杉)の坊家争闘し多くの堂坊が焼失した際当社も炎上し、古文書宝器等一切を焼失しました。
天正十五年(一五八七)小早川隆景は名島城を築き当社の頽廃を歎いて一宇の社殿を造営黒田長政公は紫縮緬の幔幕三張を下賜され忠之公は本社を修補し若杉山山林を寄進、元禄十二年(一六九九)宝満山の座主楞伽院兼雅が国家の安泰と黒田綱政公四十二歳の厄祓のため峰入を行った際当社の坊衆もこれに参加したと伝えられ綱政公は自筆の絵馬を寄進された。さらに宣政公の参詣、継高公は明和四年(一七六七)当社を再建、斉清公が文化二年(一八〇四)修復するなど歴代藩主の崇敬が篤かったと言われています。

例祭日 一月一日、五月五日、十月十七日
神饌幣帛料供進指定 大正十三年九月ニ十五日
主なる建造物 本殿、神饌所、拝殿、社務所
境内坪数 千二百五十四坪

殿様槇
黒田藩二代藩主忠之公(一六ニ三~一六五四)は当社を修復し若杉山の山林の一部を寄附され記念に一本を境内に植樹されました。本殿横のこの槇が殿様槇と呼ばれています。

殿様槙

この木は地区の人から「殿様槙」と呼ばれて親しまれています
「福岡県神社誌」(昭和十九年刊)などによれば名島に築城した安土桃山時代の武将小早川隆景が天正十五年(一五八七)年すたれていた社殿を造営その後慶安三(一六五〇)年福岡藩二代藩主忠之公が修復した際若杉山の山林の一部を寄進記念にこれを植えたといわれます
以来約三百六十年地元の人が大切に守り育ててきました。平成七年四月須恵町自然教育林推進協議会によって町の保存樹に指定されています。
平成ニ十年十月 須恵 寶満宮
ご朱印   
鎮座地区 糟屋郡
郵便番号 811-2113
所在地  糟屋郡須恵町須恵704
地図座標 33.590917,130.505296
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 宝満宮 [A00-0115]
【所在地】 糟屋郡須惠村大字須惠字古宮
【祭神】 玉依姫命、菅原神、須賀神
【由緒】 本社は応徳二年竈門神社領八十庄の北境糟屋郡須惠村大字須惠字古宮に勧請されしものにしてこの地須惠川の清流に臨み古代住民の集落地として古くより拓かれ南方歴然と宝満山の霊姿を仰望さるゝ霊域なり。
平安朝初期より宝満山頂の竈門神社が朝廷の尊崇篤きに従ひ本社は同宮の摂社の如く認められ上下の敬仰をうけ、天台宗聖護院派の山伏来つて本社を奉じ須惠より佐谷にかけて数多の坊舎を営み若杉三山の諸峰を修法の道場とせり、而して古の盛時の有様は佐谷より天治二年の銘ある経筒五個が発掘されたるに及び正中年間佐谷賢聖院にて法華経一万部の読誦ありし由の石碑の残存するを以って証すべし。
鎌倉期文永十一年元軍来寇するや筥崎宮又兵火に罹り神輿を宇美方面に奉還するの巳む無き至りし時本社の坊集死守し戦ひ幸ひ神威を汚さず、南北朝時代征西将軍に属して勤王の為働きしと伝へらるゝは本社の特記すべき光栄なり。
戦国時代毛利氏の臣杉連並本社を崇敬したりしが佐谷と右谷の坊家争闘して本社を始め多くの堂坊焼失古文書宝器等一切焼失したり。
天正十五年小早川隆景名島に城を築くや本社の頽廃を歎き一宇の社殿を造営黒田長政公は紫縮緬の幔幕三張を下賜され忠之公は本社を修理補され若杉山の山林一部を寄附記念に一本を植樹さる社側の殿様槙と称するもの是也。
元禄十二年宝満座主楞伽院兼雅国家の安泰を祈らんが為に国中の峯入をなせし時本社の坊衆もこの挙に加はりしかば綱政公は自筆の絵馬を下され拝殿を飾る宣政公も参詣あり次で継高公明和四年本社再建、斉清公文化二年再補せらる。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
【例祭日】 十月十八日
【神饌幣帛料供進指定】 大正十三年九月二十五日
【主なる建造物】 本殿、神饌所、拝殿、社務所
【境内坪数】 一百八十九坪
【氏子区域及戸数】 二百五十七戸
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公開日  2012/07/16
更新日  2013/10/20
神社全景
一の鳥居
一の鳥居扁額
神社入口
ニの鳥居
ニの鳥居扁額
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
参道風景
参道脇風景
参道脇石碑
由緒書き
注連掛石
社殿正面
社殿正面
拝殿神額
拝殿内
拝殿内奉納絵馬
お潮井台
拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(吽形)
手水舎
社殿全景
本殿
社殿背景
ご神木(殿様槇)
殿様槙由緒
境内社(不詳)
神社裏口
社殿裏石燈籠
社殿裏忠魂碑
参道風景
境内風景
     
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