[0438] 佐谷神社(さたにじんじゃ)
神社№  0438
神社名  佐谷神社(さたにじんじゃ)
神社別名 熊野神社(くまのじんじゃ)
参拝日  2014/08/31
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  伊邪那岐神、速玉男神、伊邪那美神
由緒等  
粕谷郡左谷村熊野神社(佐谷神社)記

顕身の世にありとある吉事凶事、天下の治り乱れ、年のゆたけきましき、すへて神の御心にして、神の所為給ふわさにしあれハ、更に人の智をもて測量知るへき事にあらす。故いにしへの燿き、天皇の天の下を治め給ふにも まづ大御皇祖神の御前を拝祭玉ひて何わさも神の御心を大御心として神代よりあり来しまにまに拝し給ひて神なから天の下を安国と平けく所為食ける。これの大皇国になもありける。されハ天の下の百姓に至るまで、天皇の大御皇祖神を給やひかしこみますか如く 各其祖神を斎祭且己か生れ出たる処に鎮ります土産神を朝夕仰き尊みて主と拝み祭るへきものそ。今己か身のかく可美大御国にしも生れ出てかかるめてたき大御代にあひ奉るも 全ら皇神たちの御魂幸ひ給へるによりてなれハ、諸の人よく此事を心にしめて正しく直き神の御心を心として斎祭なハ、子孫の八千連綿いかしやくはえの如く立栄える事疑ふへからす 爰に白縫筑紫前国糟屋ノ郡佐谷村観音谷の奥区に産沙神と斎ひ祭る。熊野神社ハしも掛奉も燿き伊弉冉尊 速玉之男命 事解之男命の三柱の大神になもましましける。抑此三柱の大神の起源を尋ね奉るに、日本紀曰天地初発の時、神世七代に当りまして生坐る神を伊弉諾尊 伊弉冉尊と申奉る。此二柱の大神大八洲国を始め山海草木に至るまで悉く産生竟玉ひて
されハ天の下に生とし生るもの、此二柱の大神の恩頼をかかふらすといふ事なく、今の顕にありとあるもの遠祖神に生きずといふ事なし
最後に伊弉冉尊火の神軻遇突智命を産生まし玉ひし時、御陰被焦て神退玉ひき。故紀伊国熊野の有馬村に鎮め奉れり。国人花の時にハ花をもて祭り、菓子ある時にハ菓子をもて祭り、また鼓うち笛吹幡旗にて歌舞して、此神の御魂を祭りしと也。
これ伊弉冉尊を熊野に鎮め祭しはしめにして、延喜神名式に、紀伊国牟婁郡熊野坐神社とある是なり 今も熊野の有馬村に花の窟という処ありて、毎年二月二日 十二月二日、時の花もて祭るよし也。今の世にも魂を祭るにハ必花を奉ることあるハいにしへの式の存れるにて、佛わざに習へるにハ非す。
かくて伊弉諾尊ハ女神の崩御まして更を深く歎給ひおほして、黄泉国にしも追出まして女神に語り玉はく。吾と汝と所作し国ハまた うるはしく成就竟されハ、今一度顕国に還りまさむと詔ひしかとも、女神ハ既に泉之竃浪し給ひける。いみしき汚穢のましますに依て、終に帰り玉ハで、黄泉の神となも也給ひける
泉之竃矣とハ黄泉国の竃にて煮炊たる物を食をとり、是火を忌清める事の本にして、女神火の穢のましますによりて還り坐こと不能よし也。これハ万の禍は火の穢有しから起るそかし よくつもしみてなほさりなるおもひなしやそ。
特に伊弉諾尊ハおもほしかけす不須也。凶目汗穢之国に到と詔給ひて泉平坂迠急走廻帰まして女神に盟てのり玉はく。族離族に不負とのリ事して唾し給ふ時に化生る神の御名ハ速玉之男神 次に掃ひ給ふ時に化生る神の御号を泉津事解之男神と申奉る「以上日本紀のうちをつみとりて志るせり」
即此速玉之男神 泉津事解之男神 伊弉諾伊弉冉尊夫婦の縁を断給ふ時に生坐る御神なり。されハ事解之男神と申奉るも御縁を解放給ふ御名の義なり。また唾ハ玉に其絸似よりたるものなれハそれに化生る神をやかて速玉之男命と申奉るなるへし。あなかしこ あなかしこ。
二柱御神も紀伊国牟婁郡熊野に鎮りまして神名成に熊野早玉神社とある即此御社にして今新宮と称す是なり 伊弉冉尊の鎮ります御社を本宮と称へ奉れり かく此熊野の本宮新宮二処にます三柱の大神を当所観音谷に勧請し祭りし事何の時といふ事さだかならされとも、古昔より鎮ります神社にして正中、年中此処を領知す。藤原左衛門入道茂利といふ人御社の破壊たるを修理て不足事なくいそしみなしてあかまへ祭りしとなもいひ伝ふ
当昔当処ハ若杉神社に奉祀し社僧左右の谷(若杉村を右谷といひ当村を左谷といふ)に別れ住居て其坊舎薨を並べ檐を列ねていといと繁栄なりし所なりしかは当社も殊に厳しき事ともにてありしか 天正十四年薩摩国の軍兵襲ひ来りし時、神社をはしめ社僧の坊舎悉く火に罹りて焼亡ぬるハまたなく口をしきわさなりけり。其後ハ仮殿のままにて遂に再ひ建立する人なくして今ハ僅かなる御社一間四方にして観音谷の小高き山の上にあり毎年正月五日十一日十五日産子とも打集ひて、しるし斗の祭を執行ふのみ也けり。今其跡を尋ね見るに悉く荒野となりてそのかみの遺跡とてハ仁王門跡、鳥居址、鐘樓址、此余坊舎の名ハ田畠の字にのみ残りて只いにしへのしるしと見るものは神社の側らに正中二年と彫刻たる石碑と観音堂のみなりけり。
いにしへさはかり繁栄なりし神社も、今ハしる人なきか如くになりにて、かくまて衰へ給ひぬる事きいともいともうれたく口をしきハ乱れ世のさたにそありける。然ハあれども神の御稜威はしも古へ今のへたてなく、世の盛衰の差分なく常しへに霊験を輝し給ふ事にしあれハ萬を忌清まはりて すかすかしき神の御心を心として、ひたぶるにかしこみ給やび祭なハ、それの徳化ハ子孫の八十連綿に及ひて万千秋の長五百秋に、いやしやくはえのこと、立栄えて心たけて楽しくあらむものそ よくつつしみてなおこたりそ上の件の事とも八里人の請によりて天保の元年といふとしの二月の九日の日

長野勝太郎種正 かしこみかしこみもしるす

宗教法人令神社規則によつて届出していた神社名を、熊野神社から佐谷神社に変更することは昭和二十七年七月七日神社本庁にて承認、同年十一月十五日宗教法人法による登記を完了
祭神は速玉男神、事解男神、玉依姫神の三柱
平成十年(一九九八年)佐谷神社責任役員を代表してここに記録としてしたため掲額する

佐谷区川原 嶌末友三郎
ご朱印   
鎮座地区 糟屋郡
郵便番号 811-2115
所在地  糟屋郡須惠町佐谷617付近
地図座標 33.584327,130.539406
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 熊野神社 [A00-0117]
【所在地】 糟屋郡須惠村大字佐谷字観音谷
【祭神】 伊邪那岐神、速玉男神、伊邪那美神
【由緒】 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
【例祭日】 十月八日
【主なる建造物】 本殿、拝殿
【境内坪数】 一百五十二坪
【氏子区域及戸数】 六十九戸
コメント  
公開日  2014/09/14
更新日  2014/09/14
神社入口風景
一の鳥居
一の鳥居扁額
社号標
旧手水舎
新手水舎
参道階段
二の鳥居
注連掛石
箱崎のお潮井砂
境内風景
展望台建設記念碑、石燈籠
拝殿正面
拝殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿内
由緒書き
社殿全景
社殿全景
本殿
佐谷文化財改築奉賛者芳名標
境内風景(左谷山建正寺側)
十一面観音菩薩堂
左谷山建正寺由緒書き
     
▲TOP