[0447] 現人神社(あらひとじんじゃ)
神社№  0447
神社名  現人神社(あらひとじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2012/06/11
再訪日  2013/06/06
社格   郷社
その他社格 
ご祭神  底筒男命、中筒男命、表筒男命
由緒等  
町指定文化財 現人神社の鳥居

この鳥居は、明神鳥居とよばれる形式のもので、高さが五・一五m、柱の幅が四・二mあり、年号のある鳥居では、那珂川町の中でもっとも古いものです。
また、現在鳥居の中央に付いている額は、明治はじめの廃仏思想の風潮が盛んな頃に付け替えられたもので、もともと付いていた『現人大明神』と書かれた額は、外されて拝殿横に保存されています。
神社の略史によると、元禄の頃から那珂郡の領主であった黒田靭負重実が、神田を寄進して神社の復興につくしたとあります。そして、十二ヶ村の氏子達の協力を得て現在の神殿・拝殿を建立し、鳥居の銘にあるように正徳四年(一七一四)の初夏にはこの鳥居が建てられました。

(町指定文化財第二号 現人神社の「正徳四年」銘石鳥居及び「現人大明神」額)
平成十年七月一日 指定

那珂川町教育委員会

現人神社(住吉三神総本宮)略誌

御祭神 住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)

祭日
 一月一日 歳旦祭
 二月十一日 建国祭
 五月初午の日 五穀豊穣祈願祭
 七月三十一日 夏越大祭
 十月一日 注連打祭
 十月第三日旺日 秋季大祭(おくんち)
 十一月十五日 七五三子供祭
 十二月三十一日 大祓除夜祭

御由緒並びに御神徳
伊邪那岐の大神筑紫の日向の橘の小戸の檍原にて禊祓ひ給ひし時に生まれしし住吉三柱の大神を祭祀した最も古い社にして神功皇后(一七八〇年前)三韓遠征の際軍船の舳先に御形を現し玉体護り進路を導き無事凱旋せしめた御神として皇后いたく畏み奉りてこの住吉の神の鎮り座す現人宮を訪れ神田に水を引かむと山田の一の井堰を築き裂田の溝を通水して五穀豊穣の誠を捧げられ現人大明神の尊号を授けられ供奉の藤原朝臣佐伯宿禰をして祀官せしめられてより現人大明神と称す摂津の住吉大社は現人大明神の和魂を祀り福岡の住吉宮は(一二〇〇年前)分霊せらる
今の神殿拝殿大鳥居は正徳四年(約二七〇年前)当時の領主地頭であった黒田靭負重実が氏子に協力して再建したものである
明治五年太政官布告にて現人神社と改号され五穀豊穣を始め交通安全厄除開運家内安全商売繁昌初宮七五三等今に篤い崇敬を受けている

住吉三神本津宮 現人神社略誌

(住吉三神本津宮)現人神社略誌

鎮座地
 福岡県筑紫郡那珂川町仲四三四

御祭神
 底筒男命・中筒男命・表筒男命(住吉三柱之大神)
 神功皇后・級長津彦大神・安徳天皇

御由緒並御神徳
 当宮の主祭神である底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神は、記紀神話によると伊邪那岐命が黄泉の国で受けた穢を祓うため禊をおこなった時誕生した神とされています。これら三神は、三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)に先立って生まれた神であり「祓の神」という大切な神格を持っています。また仲哀天皇の御世(約一八〇〇年前)神功皇后が大陸遠征をされたとき、この三神が荒れ狂う海原で苦難する皇軍の船の舳先に姿を現し、禊の神として皇后の身を護り玄界の逆巻く波風を鎮め、船の水先案内をも努めたと伝えられえています。このことが、当宮が国家守護の神・天地共に鎮めの祖神として信仰されるに至った由縁です。
大陸遠征から無事帰還した神功皇后は神恩に感謝し、神さまが現世に姿を現わしたことから「現人神」と称し、その御鎮座の地に武内宿禰を遣し、神田に水を引き五穀豊穣を祈請して、現人大明神の尊号を授けられました(現人神社名称の起源)。
また、霊験あらたかな現人神の和魂は、皇后大和への帰還の際、真住吉之国(住みよい国)と仰がれた摂津(大阪)の地にお祀りされたことにより、筒男三神たる現人神は住吉三神とも称されるようになりました。福岡の住吉宮も後に当宮より御分霊され、筑前一ノ宮となりました。住吉三神をお祀りする神社は全国津々浦々に二千余社を数えますが、現人神社はその住吉三神の本津宮にあたります。
現人大明神の尊号を授けられた後、藤原朝臣佐伯宿禰が祀官を努めるようになり、寿永年間太宰少弐原田種資が岩戸河内に館を設けた頃より、当宮は岩戸郷二十三ヶ村(那珂川町)の総社として仰ぎ奉られました。神領・神田等多くの寄進があり、祭祀は原田家が執り行い、社人も三十余名居たといわれています。この頃は官幣も捧げられる程繁栄していました。しかしながら、天正十四年(戦国時代)高橋紹運がこの地を治めていた頃、島津軍との戦乱のため当宮も戦火を蒙り、社殿・神宝・古文書・縁起に至るまで悉く焼失し、社人三十余名も戦乱に命を落としました。佐伯刑部の一子松千代(当時七才)一人生き残り、後に祀官を継ぎ今に至ります。
元禄年間、黒田靭負重実が当地を統轄してより、藩主のもと村人等が復興を図り、正徳四年現在の神殿が再建され、天明七年黒田斎昭の参詣を受け、石灯籠一対の寄進等があり、黒田斎清が絵馬等を奉納。天地鎮護や五穀豊穣の祈祷が盛んに行われました。
明治五年太政官布告により、現在の現人神社に改称。当宮は、神功皇后より尊号を賜ってより、天地共に鎮めの祖神と仰がれ、風雨を治め大地を鎮め護る神として、今に地鎮祭等をはじめ厄祓・災難消除等の祖神として広く崇敬を集めています。

祭礼日
一月一日 歳旦祭
 新しい年の初めにあたり、これからの一年間が幸福な良い年であることと、皇室・国家の繁栄並びに世界の平和を祈る祭。
二月十一日 建国記念祭
 日本の建国の日を祝い、皇室・国家の繁栄を祈る祭。
五月 初午祭
 五月の初午の日に行い、米・麦などの農作物の豊作と家業の繁栄とを祈る祭。
七月三十一日 夏祭(夏越祭)
 芽の輪くぐりや大祓式の神事を行い、罪穢を祓い清め心身の清浄を祈る祭。
十月第一日曜日 注連打祭
 秋祭(おくんち)に先がけて、神社の全ての注連縄を新しく取り替えるための祭。
十月第三日曜日 秋祭(おくんち)
 秋の収穫を祝い神に感謝し、伝統ある流鏑馬神事や相撲を奉納する祭。
十一月 七五三祭(十一月中 土・日祝日中心に行っています)
 子供達の成長を神に感謝し、更なる神の御守護と健やかな成長を祈る祭。
十二月三十一日 除夜祭・大祓式
 一年間の罪穢を祓い清め、息災であったことを神に感謝する祭。

主な行事説明

※夏越祭(輪越・大祓)
輪越
 蒼く鋭い芽の葉を束ね大きな輪にした「芽の輪」を大鳥居に据え付け、芽の輪をくぐり越えて罪穢を除き、心身の清浄ならんことを祈る神事です。芽の鋭い葉は剣を意味し、古来より剣が祓いの神具として祭事に多く用いられてきたことから、芽の輪をくぐることにより、参拝者の一人一人を祓い清め、人間生れながらの清らかな姿へかえすと信じられています。当宮では芽の輪の芽を抜き取り、玄関口等に取り付け、魔除けの門札とする習慣が古くからあります。

大祓
 人間が知らず知らずのうちに犯した罪穢を祓い清め、清々しい姿へとたちかえり、災難や病気、思いがけない不幸に遭わぬよう祈る神事です。
「人形」という人の形をした紙に、自分の名前や年齢を書き込み、その人形を体にこすり付け息を吹きかけます。この人形は清浄な火によってお焚き上げされ、罪や穢を祓います。

※おくんち(流鏑馬)
流鏑馬
 鎌倉時代の騎射の一つで、馬を走らせながら的を射る古式ゆかしい神事です。現人神社においては、古くから行われており(八〇〇年前)武者の装束を身に付けた射手が、大鳥居前を勇壮な姿で駆け抜け矢を射ます。打ち抜かれた的板は競って取り合い魔除等縁起物として持ち帰られます。

奉納相撲
 神功皇后の功績を喜び、近郷の村々より腕に自慢の若者が集まり、相撲を奉納したことが始まりで、千数百年の伝統ある神事です。現在では、子供たちによる奉納相撲が盛大に行われています。

福岡県筑紫郡那珂川町仲3丁目6番20号
現人神社社務所
電話 952-2152
FAX 953-3781
ご朱印  
鎮座地区 那珂川市
郵便番号 811-1253
所在地  那珂川市仲3丁目6-20
地図座標 33.506392,130.424723
公式HP  http://arahito.com/
福岡県神社誌
【社名】 現人神社 [A00-0504]
【所在地】 筑紫郡安徳村大字仲字村
【祭神】 表筒男命、中筒男命、底筒男命
【由緒】 明治五年十一月三日郷社と定めらる。住吉神の生化し給ふ橘の小戸にして住吉の本初たり神功皇后の軍船を導き玉ひしより現人と称し玉ふ由、神功皇后三韓征伐の折初め神田を此辺より開き始め隣村山田の一の堰又は神堰とも言ひ伝ふ掛り水所謂裂田溝を通し又村々に地禄神社即ち埴安神を祭り給ふこと此那珂郡限りて多し元社領も若干有りしに天正十四年の兵災に罹り悉く烏有となる古来岩戸郷の産神にて岩戸庄二十三ヶ村の総社たり昔より近時に至るまで異変なしといへども明治二十二年市町村制施行の際に十二ヶ村合併し之を二分し安徳村岩戸村とす、以後二村にて祭祀修繕を負担し社司一名社掌一名を置き陰暦九月十九日を(現在十月十九日)秋季大例祭とし神楽流鏑馬相撲等を挙行す陰暦四月初干(現在五月)を祭日とす寿永の比は官幣も奉られしなり。
原田岩門少卿大蔵種資か岩門に館を建てしより氏神とし神領数多寄附し祭礼は原田家より挙行せしなり、原田種直鎌倉に捕はれ其後怡土郡に転移せしか当時の地領氏子にて維持し岩屋城主高橋主膳正鑑種入道紹運まては旧によりて神事等かはる事なかりき、天正十四年七月岩屋城陥り紹運自殺の時に当社も兵燹にかかり神官佐伯刑部始め戦死す、形部の孤子松千代氏子等に救助せられ家名を継き又神告により社も旧地に再建す、其後黒田公の宰臣黒田靱負重実か那珂全郡を総轄し殊に岩門の地頭たりしより社殿を修理し社領を寄附し石鳥居をも建るに其工費を助勢す、黒田継高公来度々病気平癒並に五穀豊穣の祈願あり。
【神饌幣帛料供進指定】 大正九年二年二月十二日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿、渡殿、社務所、手水舎、絵馬殿、透屏
【境内坪数】 六百四十五坪
【氏子区域及戸数】 下梶原、安徳、東、仲村、五郎丸、今光、松木、中原、西、後野、道善、谷口 四百五十戸
【境内神社】 神武天皇社(神武天皇)、薬祖神社(少名彦命)、六一神社(不詳)、菅原神社(菅原道真)、田神社(埴安彦命、埴安姫命)、地禄神社(埴安姫命)
【摂社】 風早神社、裂田神社(級長津彦命息長足姫命)
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公開日  2012/10/28
更新日  2013/06/09
神社入口正面
神社入口鳥居
入口鳥居扁額
現人神社の鳥居説明板
参道
手水舎
由緒書き
注連掛石
注連掛石
社殿正面
社殿正面
古札納め処
御神水
社殿全景
境内神社、左から薬祖神社、六一神社
境内神社、地禄神社
本殿
社務所
境内風景
第78番札所
神社風景
神社全景
   
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