亀山神社御縁起に関する案内書
明治三十二年神社明細帳
筑前国宗像郡下西郷村字四角
亀山神社祭神
伊弉諾命、国常立命
由緒 未祥
古老伝記
亀山神社は往時より妙見様と呼び年中の祭事盛んにして遠方近隣の信者多く殊に秋の大祭事には参詣する人陸続として門前市をなす盛況振りだったと言ふ。又斯所を亀山城と称し長慶天皇南朝なるを以ち御陵なるを隠密にする必要から城頭に妙見様を祀りしならんと言伝ふ。
河津古文書に依る亀山神社祥明
宗像郡福間町の東なる字四角に御鎮座ありし亀山神社は往古より亀山御陵と称す。元和年間三十九代河津式部太夫光祐が南朝長慶天皇を御迎へ申し上げ鞍手郡枇杷郷を経て宗像郡河西郷に御遷居応永七年三月御崩御斯の上に奉葬ありと伝ふ。郷土の民衆は古来より亀山城と呼び妙見様を奉斎代々深く畏敬祭儀厳守世の誇りとせり。
神社明細帳は神仏分離行政に依り明治初年調へられしものにして以前は妙見様として貴重な存在として河津家の産神宗社大森神社にも奉斎あり
|
|