[0463] 小烏神社(こがらすじんじゃ)
神社№  0463
神社名  小烏神社(こがらすじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2012/08/21
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  少彦名神、綿津見神、高龗神、闇龗神
由緒等  
小烏神社御縁紀

祭神
少名彦神
綿津見神
高龗神
闇龗神

主祭神少名彦神は薬師神とも称号し現世医療の神にて往古よりの祭祀なり 綿津見神は海上諸事を司る守護神なり 高龗神闇神は降雨を司る雨神なり 少名彦神以下三柱の神は其の後氏子中信仰により合祀なされしものならん事由不詳なり
本社は其の昔蓑生ヶ浜磯の岸辺に在り 元亀二年三月河津彈正忠隆祐の建立と申し伝う 当地砂原不毛の土地なりしもたまたま慶長五年筑前の国主黒田長政公国中御巡行の砌り此の砂原を見て松林となすべき旨仰せ出され家臣黒田三左衛門養心に命じ松を植林す 此の松林取締りのため当時那珂郡堅粕村の農五戸家を此の地大公に移住させ永代此の造林の取締りをなさしむ
其の後寛文四年甲辰其の子孫蕃殖し蓑生ヶ浜の神々を当地浜崎に遷し社殿を建立し氏神と崇め奉れり

御神徳 農耕を助け牛馬守護神として無難を祈願し亦降雨を司り慈雨を授け給いて早魃より諸民を救い給う 又氏子中御典医の流れをくむ家柄にて産婆役を勤めし人あり 神々の御神威と共に諸人を御産の苦しみより救いて御神徳御利益を弘めたりとも申し伝う

殊に本社に古来より伝える古式宮座神事(毎年十二月二日)は事前祭事当番を御神籤を以って定め境内に呉竹に注連を引きめぐらし潔斉場を設け一切の不浄を祓い神前献備の御供物調理に当り献じ祀る氏神の権化即ち白烏飛び来り啄食無ければ啄食あるまで参籠し献上を厳守せられしとの事応諾なき時は数日をついやし苦辛の果感応を迎へたりと言い伝う誠に由緒深きものなり
御遷座以来六十余年後享保十年乙巳六月大公の五戸家不慮の災火に遭いて本神社記録及び造林取締りの為めの有司の證文等悉く焼失し今は其の證となるもの無し 本社は往昔より八龗様と尊称せしが明治維新の政令に基き八龗の尊号を廃し後明治二十五年今の小烏神社に社号を改めたり

小烏神社年間行事

一月一日 元旦祭り
四月十五日 春祭り
五月二十七日 夏祭り
八月二十八日 風止め
十二月二日 大祭り
ご朱印   
鎮座地区 福津市
郵便番号 811-3217
所在地  福津市中央6丁目9-7
地図座標 33.764158,130.483372
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 小烏神社 [A00-0132]
【所在地】 宗像郡福間町字浜崎
【祭神】 綿津見神、高龗神、闇龗神
【由緒】 不詳、昭和十年十二月二十六日村社加列。社説に曰く、浜崎に鎮座浜崎、高浜両部落の氏神也、八大龍王の称号あり、古老の伝ふ所によれば此の附近に白烏一羽居たりしが社中に此の姿見えたる時は吉兆ありとなし、産土子等の騒ぎ一方ならず是より小烏神社と称せしなりと。
【例祭日】 十一月三日
【主なる建造物】 神殿、拝殿、社務所
【境内坪数】 九十七坪
【氏子区域及戸数】 高浜浜崎両区中百五十戸
【境内神社】 須賀神社(素戔嗚命)、八龍神社(少童神)
コメント  
公開日  2012/09/09
更新日  2012/09/09
一の鳥居
一の鳥居扁額
神社全景
社号標
二の鳥居
手水舎
境内風景
社殿正面
再建記念碑
年間行事
御縁起
拝殿神額
社殿全景
境内神社(不詳)
社殿全景
社殿全景
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