[0547] 竈門神社(かまどじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0547
神社名 竈門神社(かまどじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2015/09/11
再訪日  
社格  官幣小社
その他社格式内社(竈門神社、名神大)、別表神社
ご祭神玉依姫命、神功皇后、応神天皇
由緒等
愛敬の岩

恋占いをしてみませんか。
目を閉じて歩き、無事むこう側の石にたどりつくことができれば恋がかないます。
一度でできれば早く願いがかないます。人にアドバイスしてもらった人は、人の助けを借りなけらば願いも叶わないと云う、恋占いの愛敬の岩です。

招霊の木

神代の昔、天の岩戸の前で天鈿女命は招霊の枝をお持ちになり神楽舞を奏して、天照大神を岩戸よりお出ましいただき再び明るい平和な時代が参りました。招霊とは神様を招くの意で、特に竃門神社では良縁・幸福を招く御霊験の木として尊ばれております。例年四月上旬頃に香り高い白い花が咲いて、秋には鈴のような丸い実を結び、神楽鈴の起源と伝えられております。又、皇族常陸宮家の御紋章として、招霊の花がしるされております。

須佐神社

須佐神社の御祭神は、須佐之男命であり日本で最初に妻恋の歌「八雲たつ、出雲八重垣妻籠に八重垣作る。」其の八重垣を歌われて愛が育ち恋が実って、みめ麗しい櫛稲田ひめを娶られ(結婚)ました。
須佐神社にお祈りすれば、神様もきっとお喜びになり、あなたの気持ちが通じて、実りに一歩近ずく、幸福の始まりではないでしょうか。

九州総鎮守
宝満宮竃門神社畧記

竈門神社の方除け・縁結びの信仰
竈門神社は、大宰府政庁(都府楼跡)の鬼門に当る宝満山に大宰府鎮護のために祀られた由来から「方除け」の神、更には厄除け、災難消除の神として信仰されてきました。方位と日本人との関係は古く、陰陽道では東北(艮)の方角を鬼が出入りする不吉な方向(鬼門)として万事に忌み嫌われ、今日においても、家屋の新築や増築等での間取りに当っては方位を考慮し、転居や旅行に際しても方位の吉凶、その年の恵方を大切にしてきたのです。
また護御祭神が玉依姫という女性の神さまであるところから「えんむすびの神」として広く信仰されています。
十六歳になると宝満山に登り、玉依姫に成人の報告をして、男性は金銭に困らぬように、女性は良縁に恵まれるように、頂上付近の木に縁結びのこよりを結んで祈りを捧げました。

緋桜や十六詣りの径けはし 和田好文木

御祈願のご案内
皆様の願いにより、諸々の御祈願を執り行います。
えんむすび・方除け・厄除け・災難消除・交通安全・その他
初穂料 5,000円 ※お守りも各種ございます

祭事

1月1日 歳旦祭、作だめし神事
1月4日 愛嶽神社祭
3月旧暦初午 式部稲荷神社初午祭
3月下旬 桜の見頃
4月中旬 春のえんむすび大祭
4月中旬 石楠花の見頃
5月中旬 宝満山峰入り
5月下旬 宝満山護摩焚き(下宮境内)
6月30日 大祓式
7月中旬 夏祭り、茅の輪神事、およど
7月下旬 山開き(夏休み最初の日曜日)
8月7日 七夕祭り(七夕良縁祈願祭)
10月10日 お注縄上げ
10月中旬 秋のえんむすび大祭
11月15日 例祭、七五三詣で
11月中旬 もみじ祭り(もみじの見頃)
11月23日 新嘗祭(新穀感謝祭)、大麻頒布祭
12月31日 大祓式、除夜祭
毎月1日・15日 月次祭(11時) ※どなたでもご自由に参列出来ます。

宝満宮 竈門神社社務所
〒818-0115
福岡県太宰府市内山883
電話(092)922-4106
FAX(092)922-4107
http://www.kamadojinja.or.jp/
御祭神
玉依姫命 神功皇后 応神天皇

由緒
福岡の人々に最も親しまれ、九州で一番登山者が多いと言われる宝満山は、貝原益軒の『筑前国続風土記』に「この山は、国の中央にありていと高く、造化神秀のあつまれる所にして、神霊のとどまります地なれはにや、筑紫の国の惣鎮守と称す」と書かれています。福岡平野の中央にあってひときわ高く美しい山に、太古から人々は神を感じてきました。

三つの名を持つ山
私達が「宝満山」と呼び慣わしているこの山は、「御笠山」「竈門山」とも呼ばれてきました。
「御笠山」が最も古く、二日市方面から望む「笠」の形をした美しい姿から名付けられたもののようです。古来「笠」は神の憑代と考えられ、我々に多くの恩恵を与えてくれる山として信仰されていたことが分かります。「竈門山」という名の由来は、この山の九合目にある竈門岩によるという説と、『筑前国続風土記』には、この山が、カマドのような形をしていて、常に雲霧が絶えず、それがちょうどカマドで煮炊きをして煙が立ち上がっているように見えるので竈門山というのだと書いてあります。これは太宰府天満宮方面から見る山の姿です。
多くの方に最も親しまれている「宝満山」の呼び名は、神仏習合によってこの山に鎮まります神が、「宝満大菩薩」とされたところから、山伏の活躍と共に「宝満山」の名称が広く浸透して今日に至っています。

大宰府鎮護の神
この宝満山で神祭が行われた始まりは、天智天皇の御代、今から一三〇〇年以上も昔、九州一円を統治する大宰府政庁が現在の都府楼跡の地に遷された時、鬼門に当る竈門山(宝満山)に、西の都大宰府鎮護のための神が祀られました。
頂上の上宮が建つ巨岩の下からは皇朝銭、奈良三彩など、奈良時代から平安初期の国家的な祭祀が行われたことを示す数々の品々が出土し、遣唐使派遣との密接な関係も指摘されています。ある時は大宰府の平安を願って祭祀が行われ、またある時は遣唐使の航海安全や外敵からの守護が祈られて来たのです。

玉依姫命と竈門神社創建
天武天皇二年(六七三)には、心蓮上人がこの山に籠って修行中に玉依姫命が現われ、朝廷によって上宮が建てられて、これが竈門神社の創建となります。爾来、大宰府の宮人の崇敬は厚く、公の祭祀が行われ『延喜式』に名神大社として記載されています。
神社の草創と同時に下宮・内山周辺にも寺院が建てられ、この山の寺の名としては「竈門山寺」「大山寺」「有智山寺」等と称されてきました。

伝教大師
最澄は瀬戸内海で暴風雨に遭い、難破した遣唐船の修理を待つ間、約一年間を筑紫で過ごし、延暦二十二年(八〇三)、この山に参籠して薬師仏四体を彫って竈門神に入唐求法、航海の安全を祈りました。それ以降、高僧の往来が盛んで平安時代から鎌倉時代には、麓の北谷、南谷、内山に学問を専らにした衆徒方三〇〇坊、修業を専らにした行者方七〇坊の坊舎があったと伝えらえ、優れた宗教文化が華開いたのでした。

武将の信仰
室町幕府の成立に大きな力となった武藤資頼を初代とする小弐氏は、元寇の際に宝満山麓に有智山城を築き、竈門神社に戦勝を祈願して、現地の最高指揮官として元軍にあたり大きな武勲をたてたのです。戦国時代末期には、岩屋城の戦で有名な高橋紹運も宝満山に城を築き、竈門神社を守り神として武将の信仰も厚かったものの、長く続いた戦乱によって竈門神社、有智山寺は大きく疲弊していきました。しかし天正十五年(一五八五)、豊臣秀吉によって宝満山に三層の高楼が建てられ、時に筑前国を領した小早川隆景に登拝して諸堂の再建に着工し、江戸時代になると、黒田藩の歴代藩主の信仰も厚く、堂社・什器の寄進、修復を行い、次第に復興に向かったのです。

山伏
往年に比すべくもないものの、次第に復興した江戸時代には、二十五坊の山伏達が峰入りの修行をしたり、県下に檀家を持ち加持祈祷を行い人々の災いを祓いました。この頃には、良縁を願っての十六まいり等、庶民の登拝が盛んになり、宝満山は信仰の山として人々の心に浸透していきました。
しかし明治維新となり、国の政策による神仏分離によって仏教的なものは全て廃され、山伏たちはこの山を去っていきました。
竈門神社は、初めは村社でしたが、御祭神が神武天皇の御母「玉依姫」であり、九州総鎮守の由緒深き神社であったことから、明治二十八年に官幣小社に列せられました。

そして今・・・
現在は、縁結び・方除・厄除の神として、四季を通じて宝満山に登拝する人々の心身修練の場、信仰の山として多くの人々に親しまれています。

宝満山巡拝

山に登る、それは人々の心にどんな糧を残すのでしょうか・頂上に立った時の爽快感を味わうのも良いでしょう。身体を鍛えるのも良いでしょう。しかし、宝満山は歴史と信仰の山です。この山に登って、一木一草にも古の人々の魂を感じ、また歴史に思いを馳せるとき時、山歩きは一層ゆかしいものとなるでしょう。
宝満山には、往時の歴史を偲ぶ多くの史跡があります。
山の頂上・中腹・麓には、上宮・中宮・下宮のそれぞれの社殿があり、山伏の修行の中心であった中宮は明治以降廃絶し、今は残された礎石にその面影を残すだけになりましたが、下宮で登山前に頭を垂れ上宮で神々の恵みに感謝する人々の姿が絶えません。
山中は、山伏たちが住んでいた坊跡、応神天皇の産湯を湧かしたといわれ仙厓和尚の筆になる『仙竈』が彫られた三つの巨石かまど岩、顔を映すと老人も若い人に見えると言われ、雨請祈祷にも使われた益影の井、神仏習合の面影を残す岩に彫られた梵字、廃仏毀釈で首を落とされた羅漢さん、玉依姫命が示現された時の龍馬の跡が付いたという馬蹄石、元宝満(仏頂山)山頂の宝満山開山心蓮上人の墓などの史跡に彩られています。また、山伏たちが籠って修行をした七つの窟があり、玉依姫の山稜といわれる法城窟、宮本武蔵と戦って敗れた夢想権之助が籠って修行し、杖道を体得した普池窟がよく知られています。

境内散策

竈門山寺跡
往時の繁栄を偲ぶ七間五間の礎石群。最澄がここに籠もり、薬師仏四体を彫ったという。鴻臚館式軒丸瓦が出土し、奈良時代にもこの場所に寺院があったことを示唆している。

夢想権之助社
宝満山に籠って修行し、杖道の奥義を悟り「神道夢想流」の祖となった夢想権之助を祀り、神前では毎月、杖道の稽古会が行われます。

愛敬の岩
恋占いの岩。二つの岩の間を目を閉じて歩き、無事に向こう側にたどりつけば恋が叶うといわれています。若い人たちの恋占いの姿が絶えません。

再会の木
神功皇后が朝鮮出兵のおり、宝満山にサイカチの木を植えて「凱旋したら再会しよう」と言われました。この木に向かって好きな人との再会を祈れば、きっと願いが叶うでしょう。

四季の祭・花

春はもえ秋はこがるるかまど山 かすみも霧もけぶりとぞみる 清原元輔
竈門神社、宝満山ではいろいろな祭りや、四季折々の花に彩られます。

元旦
元旦の夜明け、神々しい初日の出を拝み、新しき年の幸せを願う人々で上宮はうまります。下宮では、その年の五穀の豊凶を占う「作だめし」の神事が行われます。

さくら
烟たつかまどの山の緋桜は 香飯の国の贈る春風 仙厓
かまど山(宝満山)は、昔から桜の名所として名高く、たくさんの古歌にも詠われてきました。最近では縁結びの神として、結婚を記念し、これからの幸せを願って桜を献木する若い人達も多い。

えんむすび大祭
男女の縁、友達との縁、事業での縁等、神様の御加護を祈って「えんむすび大祭」を斎行し、神縁による共々の語らいの輪を大きくする和やかな茶話会を行います。

しゃくなげ・若葉
石楠花は、山伏のもたらす呪力ある花として災難除けに喜ばれてきました。宝満山は「筑紫石楠花」の名所として名高く、全山が若葉で黄緑に萌える頃、薄ピンクの花が人々の心を和ませます。

護摩焚きと峰入り
昭和五十七年、この山の開山心蓮上人の一三〇〇年忌を期に宝満山山伏の末孫、今もこの山を修行の場としている修験者の人々を中心にして結成された宝満山修験会により、霊山宝満に相応しい峰入りと護摩焚きが行われます。
五月中旬、山伏と一緒に山に登ろうと法螺貝が山々にこだます中、竈門神社下宮で読経の後に一の鳥居で入山作法を行い、一般参加者共々に峰入りが行われ、宝満山開山の心蓮上人の墓に詣でます。
五月下旬には、古来よりの装束に身を固めた山伏により「山伏問答」「壇作法」「護摩供」と古式の通りに採燈大護摩供が行われる。火が燃えさかり、煙がもくもくと立ち昇る中、人々の様々な願いが書かれた護摩木が投げ入れられ、修験の修法により不幸不運を焼き払い幸運を招く護摩焚きの神事があります。終わると護摩壇が崩され、老若男女が除災招福を祈って火生三昧、即ち「火渡り」の行事が行われます。

七夕祭り(七夕良縁祈願祭)
八月七日、皆様の幸せと良縁成就を願って「七夕祭り」が行われます。境内には、様々の願い事が書かれた大小多くの七夕飾りが立てられ、夜のとばりが降り、星が輝く頃になると、参道には竹筒に入れた約四〇〇本のローソクが灯り、御本殿では神楽が奏され、幻想的な一夜を創り出します。

紅葉
峯あらし吹きて御山のうす紅葉 竈門のやまの秋の朝やけ 西高辻信任
竈門神社は紅葉の名所としても知られ、秋は全山紅葉の錦となり、下宮の五色紅葉の下では、「紅葉まつり」が行われます。


かまど山また夜をこめてふりつもる みねのしら雪あけてこそ見め 大江匤房
雪は美しい樹氷をつくり、首の無い羅漢さんの上にもやさしく降り積もります。
ご朱印
鎮座地区太宰府市
郵便番号818-0115
所在地太宰府市内山883
地図座標33.528832,130.552329
公式HPhttp://kamadojinja.or.jp/
福岡県神社誌
【社名】 竈門神社 [A00-0006]
【所在地】 筑紫郡太宰府町大字内山
【祭神】 玉依姫命、相殿神功皇后(左)、応神天皇(右)
【由緒】 祭神は畏くも淑徳円満にして霊光四海に普き皇宗神武天皇の御母神玉依姫命にまします。
玉依姫命は海神豊玉彦命の御女にして鸕鷀草葺不合命(官幣大社鵜戸神宮祭神)の御后となり給ひ、五瀬命稲飯命御毛沼命神倭伊波礼彦命(神武天皇)の四柱の御子を生み給ひ、背の君を援け奉り四柱の御子等の御教養と建国の大業に御心を悩まさせ給ひ、宗像三女神志賀の神様等に御協議の為め日向国より筑紫蒼溟の地、霊気長く久しく籠る此の竈門山に登り給ひ、其の御計画に心身御修業あらせられたる実に竈門山は造化神霊の宿れる所にして、千古の霊蹟皇宗母神の降臨地であり、又命の御陵の所在地なり。
按ずるに玉依姫命を中央主祭の神とし、神功皇后八幡大神を左右に配祀せしは、宇佐神宮三座の神と御同神にして玉依姫命は同神宮の比売大神と御同体に座すなり。其は一の宮記に当国筥崎八幡宮の祭神も一に八幡大神二に聖母神功皇后三に竈門号の筥崎八幡一とありて此三座の神は分離すべからざる由縁あればなり。宇佐神宮の比売大神に就きては日本書紀に曰く、神所生三女神者使降居干葦原中国之宇佐島矣今在海北道中(宗像三社を指す)号曰道主貴とありて、宇佐の社伝に三柱の女神とあり。又近江国蒲生郡武佐八幡宮の社伝に、田心姫伊命瀛津島姫命市杵島姫命此三神号玉依姫命とあるなどを通観すれば、此三神は一体分身の神にして一体の時は須勢理毘売と称し(大同本記に見ゆ)宇佐神宮男山八幡宮にては単に比売大神と称し、又当社及筥崎八幡宮にては玉依姫命と申して一座の神なることを知るべし。
神武天皇皇都を中州に定めんと途に上らせ給ふに及び天皇は諸皇子と共に此の山に登り給ひて、躬親から御胸鏡を榊木の枝に取り掛け厳の太玉串を刺立て建国の大偉業を申告して御加護を御祈り給ひぬ、されば天皇の大偉業は玉依姫神の御教化に因る事大なるものなり。
天智天皇の御時都府楼を太宰府に建て給ふ際、竈門山は鬼門に当れるを以て勅使を御山に遣し厳に御祭儀を仕へ奉らせ給へり。次で天武天皇白鳳二年有司に命じ給ひて神殿を創設せられたり是当竈門神社(宝満山)創立の始めにて、仁明天皇承和七年四月勅使奉幣の事有り、延喜式制には名神大社に列せられ、白河天皇の御代には九州二島総鎮守の神と崇められ、堀川天皇嘉承元年には正一位を賜はり、鳥羽天皇天永三年勅使奉幣の事あり、歴代の御崇敬極めて篤し。豊臣秀吉太宰府に来りし時社殿の再築あり、黒田藩主の入国以来更に社殿の再築等ありしが、明治維新後は神仏の混合を解かれ、全山の社殿仏舎は全部破焼せられ只一宇の社殿のみ残されて村社に列し、明治二十八年十月官幣小社に御昇格仰出さる。斯くて御神威は旧に倍して四海に普き霊山たり且つ名山たる竈門山は、永く久しく神霊の鎮座まします霊域たり。
【特殊祭事】 古来十六詣と称し、男女十六歳に至れば一代の開運隆昌の為め、必ず参拝祈願をなす習あり。
【例祭日】 十一月十五日
【主なる建造物】 上宮 本殿、渡殿、拝殿、社務所
下宮 本殿、渡殿、拝殿、神饌所、斎館社務所
【主なる宝物】 宝満宮御伝記上下二巻、勅額一面、水鏡一面、竈山詩稿一冊、唐獅子一個、其他鳥居五基
【境内坪数】 上宮、中宮跡を含む 十八万九千六百四十五坪
下宮 三千四百九十坪五勺
【氏子区域及戸数】 太宰府町北谷区五十五戸、向内山区三十戸、御笠村原区三十五戸
【境内神社】 五穀神社(倉稲魂命)、須佐神社(素盞雄尊)
【末社】 愛嶽神社(軻遇土神)、式部神社(倉稲魂命)
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公開日2015/10/11
更新日2015/10/11
その他の写真
参道入口風景
一の鳥居
一の鳥居扁額
社号標
二の鳥居
二の鳥居扁額
竃門山寺跡説明板
古社号標
三の鳥居
寶満宮上宮再建記念碑
参道風景
神鹿園
飼鹿
注連掛石
社務所
社務所
境内風景
手洗鉢
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿正面
拝殿神額
拝殿内
社殿全景
社殿全景
本殿
ご神木
境内風景
社務所
社務所
社務所テラス
社務所テラスからの眺望
愛敬の岩
愛敬の岩説明板
境内神社、五穀神社全景
境内神社、五穀神社
招霊の木風景
招霊の木説明板
夢想権之助神社全景
夢想権之助神社
神道夢想流杖道発祥之地碑
境内神社、須佐神社全景
境内神社、須佐神社説明板
境内神社、須佐神社
斎館全景
斎館全景