[0577] 大森宮(おおもりぐう)
神社№  0577
神社名  大森宮(おおもりぐう)
神社別名  
参拝日  2014/06/01
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  伊弉諾命、伊弉冊命、事代主命、水象女神、大山祇命、石長姫命
由緒等  
蓑生郷宗社 大森宮御由緒

筑前国宗像郡蓑生郷 上西郷、下西郷、久末、津丸、手光、五ヶ村の産神也。
往時、飯盛山の麓大森に鎮座、大森宮、大守宮、大守六宮と奉称せり。

御祭神
(右)伊弉諾命 伊弉冊命 事代主命
(左)水象女命 大山祇命 石長姫命

右、主祭神六柱の神の内
右記御祭神は、往時よりの御鎮座、飯盛社、小盛社、西塔田若宮社の御祭神也。左記御祭神は、嘉元二年甲辰三月社職の河津駿河守藤原重房、本国産神、伊豆権現、箱根権現、三島明神の三社の御祭神を合斎せしと伝たり、此の六柱の大神を合斎せしを以て俗に大守六社宮と称号し、郷民の鎮守様と尊崇する皇神是なりと云う。
飯盛、小盛、西塔田若宮三社は宗像神社七拾五社の一也とあり、往時は御神田四拾四町余あり、社運も豊かに年中祭事も盛大なり御奉賛の儀も厳しく斎行の趣宗像社記に詳しく記されたり。
応仁、文明年間に渉りし応仁の乱興り、たまたま往時、河津民部少輔藤原興光武職、社職兼任の責を以て、大内家の命をうけ山城国舟岡山の合戦に参加せし砌り不覚にも吾が身に深手を負ひ困迷傷心の態となり、たまたま戦場と本陣との間に大河あり渡る事を得ず危機に面したり。
其の折、河西の大鯰背に鞍を置き出現いたし、興光速やかに乗移り対岸の本陣に無事帰参。家臣の手厚き看護を蒙り一命を得たりと。
其の後、何者たりかを尋ねども知れず大森六社宮の御祭神の権化なると覚とり鯰魚は使神なりと尊崇せり。以後、蓑生郷の産子、なまず喰する事なしと云う伝へ也。

年中祭事記
正月祭 節句祭 祈年祭 彼岸祭 御稚児籠 夏越祭
大祓祭(年二回) 風止籠 宮座祭 新嘗祭 月並祭(月一回)

大森神社御由緒

そもそも此の大森神社と称し奉るは往古より西江蓑生郷の大盛に御鎮坐宗像郡参百町の産土神なり、即ち上西郷・下西郷(福間)・手光・津丸・久末五ヶ村の宗社産土の神と崇め奉れり。
御祭神 伊弉冊命 水象女命 事代主命
右三神は飯盛社・小盛社・西塔田若宮の三社を合祀し大守神社を建立せし時よりの御祭神なり。
御祭神 石長姫命(伊豆権現) 伊弉諾命(箱根権現) 大山祇命(三嶋明神)
右三神は嘉元弐年甲辰三月社職河津民部少奥光の代大守宮を造営本国の産土神を御勧請合斎すると共に長慶天皇の竒御魂を御奉祀し、依て御神竃を伺い大守六社明神と称号せしと言ふ。又、飯盛・小盛・西塔田三社合祀の際各社より一本の樹を移し神域を造りしを以て大森宮と改称せしとも云い伝へり。
たまたま社職兼務奥光代大内家の依命相勤むる故城州岡山合戦の砌り深手を負い危く西江川を渡らんとせしも河水激増して及ばずと貴き一命を果さんとする時不思議なる哉濁流より大鯰鞍付のまま泳ぎ来たる之に打乗り無事対岸の己が館に帰り着き一命を得たり、之吾が産土神化し救い給いしならんと深く覚り尊敬す、以来蓑生郷参百町の産子中鯰魚は氏神の使神なりと信じ今に至るも食せず。
天正年間豊臣秀吉勅命を蒙り九州鎮撫の為数十万の官軍を率いて下向せし時諸方城郭悉く破却し神社仏閣への寄進田畑取上げ上地となれり。之より殿社営繕祭典等は意のままならず廃頽に帰したるを産子人民憂い歎き相議り形許りの祭儀奉賽をせし事もあると言ふ、御社殿元文弐年再建せしも破却、安政年間御拝殿再建、大正年間改築完工、昭和四拾六年四月十七日全社殿炎上、翌年四月吉日産子崇敬者寄進に依り復興す。

昭和四十七年四月吉日
宗社 大森神社復興奉賛会
ご朱印   
鎮座地区 福津市
郵便番号 811-3207
所在地  福津市上西郷802
地図座標 33.754808,130.507474
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 大森神社 [A00-0140]
【所在地】 宗像郡上西郷村大字上西郷字ヤケミドウ
【祭神】 伊弉諾命、水象女命、事代主命、伊弉冊命、大山祇命、石名姫命
【由緒】 伊弉冊命以下三柱の大神は嘉元二甲辰年河津駿河守重房の本国氏神を勧請合祭し六座とす宗像社記曰飯盛小盛神社と有り後世大森神社と改む則七十五社の一也而て蓑生郷宗社也小盛に鎮座なりしが嘉元二甲辰三月河津駿河守重房再建し又延元年中足利尊氏改建し神田を寄附す又文明の頃より大内政弘祭典料四町寄附祭祀を興隆す享保の末社殿焼失其後当所に移転社殿新築す明治五年十一月三日村社に被定。又社説に曰く、蓑生郷(上西郷、下西郷、津丸、久末、手光の五箇村を云ふ)の宗社なり。延元年中足利尊氏当郡の諸社に祈願の事有つて宗像大宮司氏俊に命じて当社をも営興し神料四町等寄附。爾来年々祭祀最も厳重也しと後世度々の兵乱に当社も囘禄し、神領は皆没収せられ、神人巫女離散せしかば、おのづから祭事も退転して遂に廃社に及ぶ。たまたま地頭河津掃部助弘業は多年之を患ふる処に当社の内大内政弘の領となる、則弘業を以て其代官職に補はる此時に至り社務職の人を再興して再び祭祀を執行はしめ度旨、弘業頻に愁訴有ければ、文明十一年十一月政弘より神領八町余寄附、弘業をして再興せしめたり。又永正八年洛北船岡山の合戦に於て河津民部少輔興光激戦して創を被る事数箇所也、己に戦場に顚倒し心沈迷して深淵に没するが如し。時に鮧魚有て興光を背に乗せ水上に浮びて我陣営に帰る、興光之れ故郷の産神大森権現殊には我祖の生国伊豆箱根両権現三島大明神の加護なりとし、厚く感謝をなし同九年春鮧魚使神を合祀せり、此の時より西郷三百町の産土人鮧魚を喰ふ事を禁制す、今に至る迄然るなり現今皮膚病の神として崇敬者甚だ多し。
【例祭日】 九月二十八日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年一月十九日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿、御供殿、社務所
【主なる宝物】 古鏡二個、太刀三振、短刀一振、鎧一領、仏像一体、古鈴一個
【境内坪数】 六百二十二坪
【氏子区域及戸数】 上西郷区中 約二百戸
【境内神社】 春日神社(天児屋根命、保食神)、三島神社(大山祇命、諏訪神、龗神、熊野神、神武神、八幡神)六柱大神は今下西郷手光、津丸、久末の四箇村に氏神として奉祀大神等を本社の摂社として往古より境内に鎮座。荒神社(素盞嗚命)、貴船神社(高龗神、闇龗神)
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公開日  2014/06/08
更新日  2014/06/08
神社全景
神社入口風景
鯰像
社号標
由緒書き
一の鳥居
一の鳥居扁額
参道風景
神橋
ニの鳥居
ニの鳥居扁額
手水舎
境内風景
社殿正面
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
神使鯰(右側)
神使鯰(左側)
拝殿内
拝殿内
拝殿神額
拝殿奉納絵馬
拝殿由緒書き
社殿全景
本殿
授与所
社殿左側風景
境内神社(不詳)
境内神社、亀山神社・袒主神社・春日神社・稲荷神社
境内神社、左から荒五郎社・三島神社・諏訪神社・若八幡宮・神武神社・熊野神社・小烏神社・龗神社、西嵜神社、天満宮
境内風景
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