[0721] 松延天満宮(まつのぶてんまんぐう)
神社№  0721
神社名  松延天満宮(まつのぶてんまんぐう)
神社別名  
参拝日  2016/12/24
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  菅原神、埴安命
由緒等  
天満宮 所在地 朝倉郡筑前町松延字三十六

祭神は高御産巣日神・菅原神・埴安命。
祭神の埴安命は同字無格社田神社として祭祀ありしを、明治四十四年(一九一一)年五月十八日に合併するとある。
由緒は室町時代ころの建立と伝えられ、古来から農業神の産土神信仰に神功皇后伝説である「熊襲征伐の時、天神地祇を祀ったところ高御産巣日神の御姿が鷹となって現れて大松の梢にとまった・・・」という縁起から江戸期までは「隼鷹天神社」と称していた。

平成二六年三月 筑前町教育委員会

松延天満宮縁起

筑前国続風土記には
「隼鷹天神社。筑前国夜須郡松延村三六、ムラウチ。神殿一間・一間半 拝殿二間・三間。祭日九月十七日。奉祀-大内田備前。産土神ナリ。菅神ヲ祭ル。鎮座ノ初メ詳ナラス。社内二、三石アリ。庚申・毘沙門・大日ト云フ。」とある。
福岡県神社明細帳には
「祭神-菅原神・埴安命。由緒-不詳。明治五年十一月三日村社ニ列セラル。例祭-九月十七日。後十月十七日。境内-三百八拾壱坪。氏子三十六戸。神官-夜須郡下淵村村社老松神社祠掌(兼務)松木俊克。祭神-埴安命ハ同字無格社田神社トシテ祭祀アリシヲ明治四十四年五月十八日合祀。昭和四年八月十六日改築。昭和三十九年四月拝殿改築。
隼鷹天神社については、筑前国横隈字天神木にもありその縁起によれば
「仲哀天皇が熊襲征伐ノ砌リ、大保ノ行宮ニ於テ天神地祇ヲ祀ラレ、其ノ時、高御産巣日神ノ御姿ガ鷹トナッテ現ワレ給イ北ヲ指シテ飛ビ去リ此ノ地ノ大松ノ梢ニトマツタ後、消ヱ失セタリ。其ノ後、神功皇后ノ勅ニヨリ其ノ神霊ヲ祀ラレタ所、鷹トナツテ現ワレタノデ、神号ヲ隼鷹天神ト称シテ御神体ヲシテ鷹ヲ安置セラレタ。」とあるが松延の神社も江戸時代迄は隼鷹天神社と古文献に記されているので同じ縁起を体したものであろう。
天神とは天ツ神、アマツカミの意で天神地祇とは天ツ神、国ツ神の総称であり総べての神々の意であるが平安時代初期延喜三年二月二十五日管原道真の薨去後道真を火雷天神とする信仰が起り京都に北野天神が創建され天神即ち天満宮として全国的に其の信仰が広がり松延の地に於ても古来の産土神信仰に天神信仰が併せ祭られたものと思料される。
文献では、寛政十年筑前国風土記附録が編纂され、また文化年間、筑前国続風土記拾遺が成った江戸期までは松延隼應天神と記されているが、明治五年、神社庁に登録の際は松延天満宮と記されている。

以上は松延区長より郷土史家砥石淳一氏に調査研究を依頼し後世の為ここに記しおくものなり。

昭和六十一年二月吉日 松延区長
ご朱印   
鎮座地区 朝倉郡
郵便番号 838-0224
所在地  朝倉郡筑前町松延274
地図座標 33.462241,130.589691
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 天満宮 [A00-0451]
【所在地】 朝倉郡夜須村大字松延字三十六
【祭神】 菅原神、埴安命
【由緒】 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神埴安命は同大字同字無格社田神社として祭祀ありしを明治四十四年五月十八日合併
【例祭日】 十月十七日
【主なる建造物】 神殿、渡殿、拝殿、社務所
【境内坪数】 三百八十一坪
【氏子区域及戸数】 大字松延中 戸数五十一戸
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公開日  2017/01/15
更新日  2017/01/15
参道入口
鳥居
鳥居扁額
手洗鉢
お潮井台
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿正面
社殿正面
由緒書き
拝殿内
奉納絵馬
由緒書き
本殿正面
社殿全景
社殿全景
本殿
本殿
四国第五十番繁多寺 本尊薬師如来
改築記念碑
庚申尊天
寄進碑
   
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