[0905] 志々岐神社(ししきじんじゃ)
神社№  0905
神社名  志々岐神社(ししきじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2016/05/14
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  十城別命
由緒等  
不詳
ご朱印   
鎮座地区 糸島市
郵便番号 819-1322
所在地  糸島市志摩御床438
地図座標 33.565974,130.153173
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 志々岐神社 [A00-0595]
【所在地】 糸島郡小富士村大字御床字殿山
【祭神】 十城別命
【由緒】 白鳳元年肥前国松浦郡志々岐神社より鎮座と旧記に載す。明治五年十一月三日村社に被定。社説に曰く、天智天皇の御代太宰観世音創建の時本尊にせんとて唐土より阿弥陀仏を取寄せ博多の津に向ふ所海上風波の為め甚だ危かりしに由り、平戸志々岐神社を船中に勧請し幸に恙なきを得て、唐津東海岸寺山の里に着す。後世仏像は太宰府に移し、敷鉄のみは久しく此所に留まりしに、後可也山南麓に移し御床と称したり、付近の名称概ね之に因むとあり。仏像は木造に改められ清賀上人作とも言ふ、大正三年四月国宝に指定せらる。
御床は幕政時代大庄屋の居住地として、海埋立九十二丁六反余歩に上り、内二反二畝歩と年々現米一石三斗二升を神社に奉納し、旧暦九月十九日並に十二月初丑の日に新嘗祭は神宮大前の儀に倣ひ前夜丑の時祭を厳行し、付近庄屋並に神主集りて祭儀に参加したりと。
【例祭日】 十月十九日
【主なる建造物】 本殿、渡殿、拝殿、社務所、石鳥居、注連掛石
【境内坪数】 五十九坪
【氏子区域及戸数】 大字御床一般 八十戸
【摂社】 市杵島神社(市杵島姫命)、荒人神社(天児屋根命)
糸島郡誌
【社名】 志々岐神社 [N01-0036]
【所在地】 糸島郡小富士村
【由緒】 幣帛料供進指定社。大字御床。祭神は十城別命。祭日は十二月初丑の日なり。字殿上にあり。慶長田村帳に由れば久家船越新町貝塚皆御床村の内とあり、昔此辺は太宰府観世音寺の領地にして、天智天皇の御世同寺建立の時本尊にせんとて唐土より阿彌陀の像を舟に積み来りし時海上浪荒く甚だ危かりしかば肥前平戸の志々岐神社を船に勧請し幸に恙なきを得て寺山の海浜に着したりしかば、仏像と共に暫く此に駐る事となり、後聖武天皇の御代仏像は太宰府に移し、下に敷きし敷鐵と神霊は之を加也山の麓に奉祀せり。
敷鐵は縦四尺三寸五分横三尺六寸厚二寸一分神社の側に草堂を造り之に安置す。世人之を床金と唱へ、又御床と称し村名之に由て起る。後元禄年中木造にて阿彌陀仏を刻し床上に安置せしが明治の始め同村西林寺の境内に移したり。該仏像は大正三年国宝に指定せらる。祭神並びに鎮座の由来。志々岐神社祭神は十城別命にして景行天皇の皇子日本武尊の弟なり。天皇熊襲征伐の時巡狩して肥前志式に行宮を立て在りし事肥前風土記に見えたり。社伝に白鳳元年肥前国松浦郡平戸島の志式神社を勧請すとあり。始めは加也山の南麓に社を建て祀れり。其地を今神畑と称す。後に殿山に遷せり。天文十一年、寛文四年、貞享二年、完水四年等数次改造の棟札あり。今の新殿は明治廿七年の改築に係り、本殿は神明造り、拝殿は横三間入五間に改造したり。
祭祀は年中大祭日は旧暦九月十九日神甞祭並に十一月初丑の日とす。殊に十一月初丑日夜丑の刻の祭典は最も壮厳を極む。昔元禄十三年大庄屋鎌田甚吉貞俊藩主の許可を得村の南海面に堤防を築き祭田を造り、爾来保存の財産を備へ以て年中祭典費に宛てたり。丑の日祭典は村内を五区に別ち、一年一回宛五ヶ年を一週とす。各坐親あり、丑の刻に神官組子以下村長一般来籠し神酒七升七合神米七升七合、肴は川魚にして決して海魚を用ひず。翌日は早朝より一般業務を休止し正午時に神官旧庄屋各座親並に時の役員一同は年番坐親宅に於て蒸飯酒肴の饗應あり、之を本座と称す。他に脇座二戸ありて、六七才以上の男子は一人をも漏さず同様蒸飯酒肴の饗應をなすを例とす。目下宮附田地九反九畝余歩あり。
社家。現神職御床氏は家系古く往昔寺山氏と同祖なり。其先は孝元天皇の皇子彦太忽信命の後太宰少貳石川朝臣足人より出つ。始め太宰府に住し、後観世音寺坐主宮に従て寺山に遷住す。左衞門太夫治豊の時、?士城山眼道なる者系譜及累代宝器を盗み去る。依て家系を詳知するを得ざるも足人朝臣より治豊に至る盖し十五世なり。宮内治常に至り御床に遷り住す。因りて氏となす。寺山氏は明治初年に石川姓に改む。今茲に御床氏家系を列挙せん
一代-伊豆守治資。二代-將監丞治時。三代-左衞門太夫治豊。四代-内藏太夫治光。五代-右京治昌。六代-宮内治義。七代-五郎右衛門治定。八代-新八郎治忠。九代-新八郎治秀。十代-宮内治常。十一代-安太夫治元。十二代-式部治重。十三代-右京治寛。十四代-左京治方。十五代-播磨治秀。十六代-讃岐治澄。十七代-左近氣實。十八代-陸奥元?。十九代-近江元寛。二十代-陸奥元直。二十一代-現代 賴。
因に十一代治元は国主黒田忠之公の命に応し櫻井神社に奉仕し月俸を賜はりき。
境内神社に。市杵島神社 祭神=市杵島姫命 荒人神社 祭神=天児屋根命
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公開日  2016/07/03
更新日  2016/07/03
神社全景
一の鳥居
一の鳥居扁額
社号標
参道風景
二の鳥居
二の鳥居扁額
社殿正面
手洗鉢
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿内
拝殿内
拝殿内
拝殿神額
奉納絵馬
奉納絵馬
社殿全景
渡殿
本殿
本殿
本殿
境内神社(不詳)
 
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