[1164] 松尾宮(まつおぐう)
神社№  1164
神社名  松尾宮(まつおぐう)
神社別名  
参拝日  未参拝
再訪日   
社格   無格社
その他社格 
ご祭神   
由緒等   
ご朱印   
鎮座地区 朝倉市
郵便番号 838-0063
所在地  朝倉市古賀203-1
地図座標 33.411651,130.676629
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 松尾神社 [A00-1750]
【所在地】 朝倉郡立石村大字古賀字原
【祭神】 大山咋命
【由緒】 不詳、社説に曰く、平城天皇の御宇大同二年山城国葛野郡嵯峨七社中松尾神社の分霊を、西海肥後国菊地乃郷に勧請し、城野の里に奉祀城野松尾神社と称す。是和名抄の記す処なり、当時地方の尊崇厚く殊に酒造家の信仰は肥豊筑の遠きに及び、年来殷賑を極め例年九月二十九日の神幸祭には山城本社の古事に倣ひ翁媼の面を先駆とし西海稀有の盛典たりしこと同社社記に明かなり。
当時社人中尾掃部大家衆にて博識且其才気亦秀逸なるに愛られ祝部と成り社人中重きを為し社務の総管を司るに至れり。隅々神領並に社人金分配に付当時の祠官坂本常陸介と社人間に公事沙汰を起し、掃部と常陸介の間に間隙を生するに至る、茲に於て掃部は神宝二面の中翁の一面を抱き、元和三年筑前に来り分霊の祭祀を求めたり。豫て分霊の勧請を希望せる両筑の崇敬者は欣然として喜び、古賀の聖地御社原(今原とあり)の地に祀き祭りたり、是れ当松尾神社にして、時元和三年と謂ふ。俗に貴野殿と称する所以なるべし。
筑前風土記に載する処、古賀村御社原に松尾神社の社有り、元和の頃肥後国貴野村松尾大明神を勧請し、貴野大明神と号す、九月二十九日祭なりとあり。当社鎮座以来地方の崇敬浅からず、年経るに随ひ神祇は彌栄へ別て筑豊酒造家の信仰は篤く、年毎に遠隔の地より当社に参詣して酒の豊醸を祈願し、新酒樽を奉納せしこと古老の伝ふる処にて現在も近郷の酒造家年毎の醸造期に参詣するもの屢あり、亦筑前風土記に謂ふ、当社瘡瘍能治の祈願に参拝者多かりしと、当社は延宝年間以前に(二六〇年前)大明神社たりし事、美奈宜神社に保存する延宝五年九月三日付祠官神役定書を考察する時、明かに大明神なること頷かるるものなり。当社社人中長田家は元文年間に祝部として奉仕為したること確にて、累代祝部たりしに、玄栄に至り才気秀逸にして、博識温厚、神祇の奉仕に熱心精進の功に依り、文政五年四月二十六日付従五位に叙せられ、文政十年四月二十一日大宮司の許状を授けられ、更に四位の袍着用を許されたる口宣案裁許状を案する時、当社の大明神社たることは疑も無きものと思考さる。
文化年代頃より世態人情の動揺と共に、神祇の尊厳も年毎に漸時衰退し大宮司長田家と社人間の情宣も離反し天保年中玄監を最後に長田家は何処にか退去せり。以来社運全く衰退社人も退去するに至れり。明治初年神社制度改制の節不幸神格を得ざりしは遺憾の至りなり。
【例祭日】 十月二十九日
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