玉虫大明神社
所在地:筑前町曽根田字玉虫一七五〇番地
民間伝承によれば、神社のご神体は男女二体で、那須与一と玉虫御前の夫婦を祀るといいます。与一は、文治元(一一八五)年、四国の屋島の合戦で扇の的を射落とした源氏方の若武者です。一方の玉虫は平家方の女官で、船上で扇の的を掲げた女性といいます。
しかし、江戸時代の黒田藩の国学者、貝原益軒はこの伝承を「いぶかし」(疑わしい)としています。これと類似する話は熊本県の五箇荘にも残され、筑前町周辺にも源氏と平家にまつわる話が数多く伝えられています。
筑前町三箇山には、都からお姫様が訪ねて来たという「黒髪の井戸」(字藤原・清水)伝説、枝村の櫛木(櫛笥)という地名の集落、久家(公家)という名前などが残されています。
また、山深い三箇山を取り囲むように、近在の飯塚市筑穂町桑曲(かつて三箇山村の枝村)に源氏方の武将、多田満仲の墓と武器が備えてあったという倉屋敷が伝えられています。さらに、筑紫野市山家には一の谷の合戦で熊谷直実と先陣争いをした源氏方の武将、平山季重の墓などがあります。
(註)櫛笥:化粧道具などを入れる箱で、昔は高貴な人が持っていました。
平成二十三年三月二十五日
筑前町教育委員会
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