[A00-0009] 高良神社(こうらじんじゃ)
神社誌№A00-0009
神社名 高良神社(こうらじんじゃ)
社格  国幣大社
鎮座地区三井郡
所在地 三井郡御井町高良山
メモ  
祭神高良玉垂命、相殿神 八幡大神、住吉大神
由緒履中天皇御宇の御創立にして、以来歴代朝廷の御尊崇厚く、延喜の制に名神大社に列せられ、桓武天皇延暦十四年五月従五位下を授けさせられ、爾来逐次御昇叙、清和天皇貞観十一年三月従一位を、宇多天皇寛平九年十二月正一位を御加叙あらせらる。筑後国一宮にして、古くは九州の総社とも称へられ、鎌倉時代以前は御造営はすべて勅裁を以て行はれ、又武神として長寿神として一般の崇敬も頗る篤し。明治四年五月十四日国幣中社に列せられ、大正天皇御即位式の大正四年十一月十日国幣大社に昇格、特に金五百円を御下賜あらせらる。
特殊祭事春祭 陰暦正月一、二、三の三日古例により行ふ祭典にして、当日は遠近より参拝者頗る多し。

玉替祭 陰暦正月十五日午後六時より祭典執行、午後七時より社頭の燈火を消滅し、真暗中玉替の行事を行ふ祭典なり古く神功皇后三韓御征伐の砌、神託により授けられたる満珠干珠の霊験に依り芽出度凱旋あらせられたるに因みたる祭事にして、社頭頗る雑踏す。

川渡祭 陰暦六月一日と十二月一日に行ふ。当年七歳と六十一歳の男女が何れも筑後川の流れにみぞぎし、赤褌を締めて参拝し、身体の壮健と長命とを祈る祭にして、社頭に茅の輪を設け、当日は早旦より社頭は老若の別なく赤色の肌着や腰巻で賑ひ、他に類例なき特殊の祭事なり。

秋祭 俗称(おくんち)陰暦九月九、十、十一日の三日間に亘る祭事にして元は大祭なり、古くは九州九箇国の国司郡司参集して祭典を行ひ、少弐、大友、菊池、島津の九州四族四頭として輪番に神事を行ひ来り、現在に於ても年中を通じ最も参拝者多く当日は筑後国内一円何れの家庭に於ても祭日として御祝する風習あり。

神幸祭 神幸祭は三年に一度朝妻頓宮に御神幸遊ばさるる恒例にして、古く称徳天皇の神御景雲元年十月直勅裁により行はれしより、乱世の頃中絶したる事もありしが、再興して現在に及び、其の行列は、甲冑を著けたる騎馬武者や衣冠を正したる文官、神輿の前後を警衛供奉し蜿蜒数十町に亘り、其の壮観は九州稀有の大祭事なり。

斎田神事 当社斎田は昭和大嘗祭記念として、高良山下豊穣なる神田一反余歩を斎田と定め、之が耕作は福岡県三井農学校職員生徒之に当り、五月に播種祭、六月田植祭(田植舞は三井郡山川小学校女生徒奉納す)十月下旬祓穂祭を執行す。而して三井農学校斎庫に於て精選せられ、向ふ一箇年の祭典に神供する神穀を、十一月二十三日の新嘗祭当日同校全職員生徒奉持の下に荘厳なる献納式を執行す。

和歌献詠祭 献詠会を組織し、毎月の献詠歌を神前に献り、毎月十五日披講式を執行し、尚春秋二季に献詠大祭を執行す。
例祭日十月十三日
神饌幣帛料供進指定明治四年五月十四日
主なる建造物本殿、幣殿、拝殿、神饌所、透塀、社務所、斎館、手水舎、休憩所、神庫、神輿殿
主なる宝物平家物語、斎衡文書、天慶文書、国友太刀、船釘太刀、青江太刀、鏡二面、高良社絵縁起、高良社画縁起。
境内坪数十万九千八百余坪
境内神社摂社高良御于神社(斯体賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命、淵志命、谿上命、那男美命、坂本命、安子奇命、安楽応宝秘命)、末社真根子神社(伊岐真根子命)、末社印鑰神社(高良神社の印鑰)、摂社豊比咩神社(豊玉姫命)、末社稲荷神社(倉稲魂命)、同愛宕神社(加具土命)、同御祖神社(天照大神)、同天満神社(菅原道真公)、同八幡神社(応神天皇)、同琴平神社(大国主命、崇徳天皇)、末社厳島神社(市杵島姫命)、同水分神社(水分神)、同味水御井神社(水波能売命)
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