[A00-0141] 日吉神社(ひよしじんじゃ)
神社誌№A00-0141
神社名 日吉神社(ひよしじんじゃ)
社格  村社
鎮座地区宗像郡
所在地 宗像郡上西郷村大字内殿字笑尺
メモ  
祭神宗像三柱神、建御名方命、天津彦根命、正哉吾勝命、素盞嗚命、熊野樟日命、天穂日命、大己貴命、活津彦根命
由緒当社は宗像七十五社一也宗像末社記に十所王子社と有り往古は村の北樽木と云ふ所に鎮座成しが其旧跡残れり慶長年間黒田家より営繕有し由又享保年中に十社王子の号を改め山王神社と称す明治一新に付山王の号を改め日吉神社と改称す往古宗像盛る時は年中六度祭典厳重成しが今は村民形計りの祭祀す。明治五年十一月三日村社に被定。
社説に曰く当社は国家安泰人民繁昌五穀豊穣を守らせ給ふ民家の守護神にして、殊に古来国主黒田家の崇敬篤く慶長年間には筑前守黒田長政の神殿建替の棟札、及び寛永年間には筑前守松平忠之の神殿修復の棟札、又寛文年間には筑前守松平光之の神殿修復の棟札を蔵せり。
元禄年中当社の神主尾形式部太夫惟実に此神の御告あり。「我を祭るべき土地は、ましらの多く群れ来る所に祭るべし」と、やがて今の宮所に汐井猴来りて喜びさけぶ聲さはなりしかば、宮所を今の地に遷し奉る。今も尚鎮座地名を笑尺と云ふ。
五月初卯の日の祭は古来より百手祭と称し、弓矢的を作り的には左手にて左字の鬼と云ふ字を記し、氏子は的射をなし、其の矢を各家に持ち帰り門戸に斎きて夏中の無難を祈る。
例祭日十月十八日
神饌幣帛料供進指定昭和三年十一月九日
主なる建造物本殿、幣殿、拝殿、社務所
境内坪数七百三十五坪
氏子区域及戸数七十五戸
境内神社貴殿神社(酒解神)、須賀神社(素盞嗚神)、天満神社(菅原道真)、厄神社(大直毘、神直毘、八十禍津日神)
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