[A00-0228] 八幡神社(はちまんじんじゃ)
神社誌№A00-0228
神社名 八幡神社(はちまんじんじゃ)
社格  村社
鎮座地区遠賀郡
所在地 遠賀郡中間町大字垣生字八ッ広
メモ  
祭神応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、天照皇大神
由緒当社は昔仲哀天皇、神功皇后と御舟にて此垣生に着かせ給ひ暫く熊襲征伐の行宮の跡なり仲哀天皇、神功皇后、応神天皇相殿に天照大神を崇め祭り八幡宮と祝奉りて垣生郷の本社産神と村民深く尊敬せり昔年大友宗麟が兵火に焼失其後当山の半腹に建社し寛政年に又旧社址に建立、明治五年十一月三日村社に被定。
又社説に曰く、当社は埴生郷の社なり、源に須之和名抄に著せる岡の六郷の第一なり。当所より西北数箇村埴生郷の内にして中古夫々村名分れて数箇村となり、今は埴生一村の村社となれり。当社は仲哀天皇神功皇后熊襲征伐の砌岡湊より御船を進め給ひ埴生郷船津に上陸御宿陣し給ひし行宮の旧跡に斎奉りて武運と安産の神として庶民の崇敬厚く今日に到れり由つて御船を止め給ひし所を船津と呼び今に地名あり、又御輿を止め給ひし跡に松を植へて御輿懸の松と称へ、又平地の圃中に類なき盤石あり、神功皇后此の石に上りて遠近を眺望し給ふ、此の石を沓石として語り伝ふ。又当社より五六町の岩丘に老松あり、神功皇后熊襲を御平定あらせられ都に帰り給ふ時、住吉大神を奉祀し渡海安全の御祈を捧げ給ひて剱鉾を奉り、後世の験に皇后自ら植え給ひし松なり渡海安全を祈らせ給ひし故渡海の松と唱へしを後世誤りて塔の松と言ひ伝ふと今に神幸の祭壇あり。
例祭日十月十二日、十三日
神饌幣帛料供進指定明治四十年八月二十六日
境内坪数千八百二十二坪
氏子区域及戸数埴生区砂山区 九十戸
境内神社天満神社(菅原神)、須賀神社(素盞嗚尊)、恵比須神社(事代主尊)、貴船神社(高龗神)
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