[0068] 警固神社(けごじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0068
神社名 警固神社(けごじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2011/11/27
再訪日 2017/03/30
社格  県社
その他社格 
ご祭神神直日神、大直日神、八十禍津日神
由緒等
警固神社

祭神 神直日神、大直日神、八十禍津日神 警固大明神
相殿 建角身命、豊玉姫命、神功皇后、応神天皇

当社の御祭神は記紀に見える神直日神、大直日神、八十禍津日神の三柱であります。この御三神は仲哀天皇九年庚辰(西暦二〇〇年)、筑前国那珂郡福崎の筑紫石のほとりに化現し給い、その年の冬、神功皇后新羅親征の時に再び顕われられ、軍衆を警固して勝利に導かれました。これにより皇后は凱旋の後、神号を警固大明神と仰いで、福崎丘(現在の福岡城本丸跡)に奉祀せられました。これが、警固神社の創祀と伝えられております。
後世の慶長六年(一六〇一年)、藩祖黒田長政公が福岡城築城の際、当社と薬院の地に御鎮座の小烏神社を城南下警固の山上に遷し合祀されました。当社は更に薬院の地(天神二丁目の現在地)に遷られることになり、慶長十三年(一六〇八年)七月七日、社殿の造営成って、この地に御鎮座になりました。爾来、産土神として世人の崇敬篤く、黒田氏は特に尊崇され、元和七年(一六二一年)十一月五日、長政公より社領八十石の御寄附があり、相次いで歴代藩主の御寄進が行われました。当社は明治五年(一八七ニ年)十一月十三日、村社に、大正五年(一九一六年)二月二十六日、県社に昇格されました。現在は戦後の制度の改廃によって、宗教法人警固神社と称しています。

祭礼
春祭 三月十九日
夏祭 七月十九日
秋祭 十月十九日

禊祓い・厄祓い 警固神社

御祭神
警固大神
神直日神 大直日神 八十禍津日神
相殿神
建角身命 豊玉姫命 神功皇后 応神天皇

御神徳
神直日神、大直日神、八十禍津日神三柱の神々は、万姓の祖伊邪那岐大神が小戸の檍原にて禊祓いをされたときに生りませる霊神で、住吉神社と志賀海神社の御祭神とは御兄弟の関係である。
神直日神、大直日神は、人間を本来の姿(性善説)に還し、不足するものを補充し、且つ、善事を見出しそれを称揚する見直し聞き直しの霊神であり、又八十禍津日大神は悪事を指斥し誤ったことや不正をよりよい方向へ導く霊神である。此の直日、禍津日両神は、禊祓い行法を通じて人々を其の過ちや種々の罪事から祓除せしめる霊力を及ぼされる。疾病、災厄、罪科を祓い清め、人心安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されている。

御由緒
古くは、筑前国那珂郡岩戸郷の上警固村に御鎮座されていたと伝えられています。仲哀天皇九年庚辰(ニ〇〇)に福崎(現在の福岡城本丸跡周辺)の筑紫石辺りに警固大神が化現され、また神功皇后が三韓御親征の際には、警固大神がその船団を守護し勝利へ導かれたと言われ、その報恩に神功皇后は最初に化現された福崎山(現在の鴻臚館跡)に警固三柱の大神を祀られ、これが警固神社の創建とされます。
慶長六年辛丑(一六〇一)には、福岡藩初代藩主である黒田長政公が福崎山に福岡城を築城するため、当社をいったん、下警固村山上の小烏神社に合祀され、御社殿完成の同十三年(一六〇八)七月七日現在地に御鎮座となりました。御鎮座以来、福岡鎮守の神として、人々はもとより歴代藩主からも篤く崇敬され、元和七年(一六ニ一)十一月五日に黒田長政公より神領八十石を奉納せられたのを始め、二代藩主黒田忠之公の産土神としても崇められ、代々の藩主より種々の奉納を受けました。
明治五年(一八七ニ)十一月十三日、村社に指定され、その後大正五年(一九一六)二月二十六日には県社に昇格となります。なお、社名及び周辺の地名である「警固」は、かつて鴻臚館近くに置かれた太宰府政庁の防衛施設「警固所」に由来します。

御社殿
御社殿は、瑞垣で囲まれた本殿・拝殿のニ殿から成り、寛文八年(一六六八)十月二十日の市中大火後に、三代藩主光之公によって延宝四年(一六七六)に再興されたときの様式を今日に伝える。御社殿建築様式は、三間社流造り、一間向拝追破風です。

境内社
天照皇大神宮(天照御大神)
菅原神社(菅原道真)
今益稲荷神社(倉稲魂神)

御神宝
写真/板絵著色三十六歌仙絵馬(大隈言道筆)
木造東照権現坐像
近世絵馬(斎藤秋圃 他多数)

御祈願受付
厄除け・初宮詣りなど社頭祈願祭の御希望の方は、社務所までお申し付け下さい。その他、地鎮祭や家祓い、御供養なども受付けています。ご遠慮なくお申し付け下さい。

祭事暦
1月1日:歳旦祭
1月3日:元始祭
成人の日:どんど焼
2月8日:針供養祭
2月17日:祈年祭
3月19日:春季大祭
7月19日:夏季大祭
10月19日:秋季大祭
11月15日:七五三子供祭
11月23日:新嘗祭
12月23日:天長節祭
12月31日:大祓式

神徳殿(多目的ホール)
「神徳殿」は緑に囲まれた警固神社の境内にあります。都心の利便性の良い中にあって、ひときわ静寂な空間をご提供しております。木のぬくもりを大切にし、すべてバリアフリーで、どなたにもご利用いただける優しい設計です。
落ち着いた畳の大広間から、会議などでお使いいただける洋室まで目的に合わせてご利用いただける空間をご用意いたしました。
ご朱印
鎮座地区福岡市中央区
郵便番号810-0001
所在地福岡市中央区天神2丁目2-20
地図座標33.587777,130.399918
公式HPhttp://www.kegojinja.or.jp/
福岡県神社誌
【社名】 警固神社 [A00-0013]
【所在地】 福岡市小烏馬場
【祭神】 神直日神、大直日神、八十枉津日神、建角身命、神功皇后、応神天皇
【由緒】 明治五年十一月十三日村社に列せらる。創立年代不詳。社説に、上古は筑前国那珂郡岩戸郷警固村に鎮座、仲哀天皇九年庚辰同郡福崎筑紫石の汀に影現ありければ、神功皇后其の山上に祭り給ふ。即皇后異国退治の時、神直日神、大直日神、八十枉津日神の三神再現し給ひて軍衆を守護し給ふ。皇后凱旋の後異賊襲来を防護の為めとて、此の三神を福崎と云ふ丘上に祭り給ふ、今の福岡の旧城本丸の地なり。慶長六年辛丑、黒田長政福岡城を築かれし時、暫く警固村の山上に移され、同十三年戊申七月七日此所に移さる。此の地は上古より小烏神社と称して建角身神座ましければ即ち同殿に合祭すと云ふ。大正五年二月二十六日県社に列せらる。抑当社は神代以来の鎮座にして、伊邪那岐大神筑紫日向の橘小門の檍原に禊祓給ひし時に成坐せる神々なることは、記紀各々其の明記する所にして、後神功皇后御征韓の折当社の祭神が軍衆を守護し給へることは、明細帳所載の通りなり而して御社名の由来に就ては、警固神社祠来由記に曰く、
元禄五年歳次壬申九月吉旦 瑞応七十九翁 泊如運敞草並書
陰陽不測曰(中略)後人随義異其名字。其謂和魂内守身壽故号曰家護明神。其荒魂外防禦怨敵故号曰外護。又為軍先鉾故号曰警固。和語相近也。又復盪滌蒼生之濁穢祓除災沴之神故号警固也。(雖興日本紀所載不同当社伝如斯)云々。
筑前国続風土記巻之三に曰く、
警固大明神(中略)神直日、大直日、八十枉津日の三神は軍衆を警固して勝利を得べきことを守らせ給ふ。(是当社の三神なり)此の故に此三神を後世に警固大明神と称すと云。今案ずるに警固と名付けしは古此地に警固所有りし故、其所に在す神なれば名付け侍りしにや、神功皇后の新羅を討給ひし時、此神軍衆を警固し給ふと云ふは、其の名に依て後の人附会せしなるべし、云々。等の諸説あり。(附記、警固所址は今福岡城本丸の地なり。古此の辺を福崎と云ふ。博多津に異国船入り来たる防禦の為に山上に警固所を置かる。警固の名も是より起れりと)。
当社は初め那珂岩戸郷警固村に鎮座ましまし、夫より神功皇后外賊鎮護の神として福崎の山上に鎮祭せられ、慶長六年黒田長政居城を此地(福崎山)に築くに際し、当社を城の鎮守と仰ぎ、殊に長子忠之本丸にて誕生せしを以て産神と崇め奉る。是より先城中にては士庶の参詣不自由なるを以て築城と同時に那珂郡下警固村の南岨に仮殿を建て遷し奉り、其の後慶長十三年今の所(福岡市小烏馬場小烏神社の旧址と伝ふ)に、新に神殿、拝殿、楼門其の他輪奐の美を極めたる社殿を造営して同年七月七日遷座に相成り、爾来歴代藩主の尊崇逐年篤きを加へ、元和七年十一月五日長政より神領百八十石を奉納せられしを始めとして、忠之、光之、綱政等相尋で種々の宝物を奉納し、寛文八年戊申十月二十日(附記十二月二十日と記せるものあり)市中に大火ありて社殿囘禄に罹るや、延宝四年丙辰、光之再興の挙あり。爾後経営に多額の奉賽を重ね、明治維新までは本社の造営修繕等は勿論、年中大小の神事悉皆公費を以て支辨せられ、特に毎年九月十八、十九両日の例祭には国主より代拝の使者を差立られ、守護の監史を派して幣帛を奉り、御神楽、流鏑馬、猿楽、相撲等を奉納し頗る盛大なる祭典を厳修し、殊に水旱必ず祭り、風雨疫癘必ず祷り、挙国仰信せしことは由来記其の他に詳記するところなり。
【特殊祭事】 一、宝祚無窮鎮魂祈願祭
十一月二十三日。畏くも列聖の御大典に、毎歳の新嘗祭に、畏れ多くも当社祭神、大直日神を祭祀せられ、先づ以て鎮魂の御祭儀を執り行はせ給ふと洩れ承はり、当社に於ては此の尊式に鑑みまつり、毎年宮中に於ける御祭典と同日たる十一月二十ニ日の佳辰を卜して、特に、玉体御安泰、宝祚無窮祝祷の御祭典を厳修し、併せて皇国の隆昌を祈願し奉る。
一、式年遷座祭
当社は満ニ十五年毎に遷座祭を行ふ古例にて神輿渡御の御儀あり、二日間に亘り宝物其他各町よりの奉納物を挽き、古式床しき鎧武者、稚児等の出立も凛々しく、氏子の老若男女蜒蜿長蛇の列を為し、神輿の前後を警固し奉り氏子各町を練行する状いとも荘厳にして、祭儀頗る殷盛を極む。
【例祭日】 十月十九日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年一月十九日
【主なる建造物】 神殿、渡殿、拝殿、神饌所、社務所、氏子会館、神庫、絵馬殿、参籠殿、神楽殿
【主なる宝物】 縁起一巻、棟札一枚、神鏡三面、玉巻太刀一口、剣一口、太刀一口、鎗一口、兜三頭、鎧一領、三十六歌仙探幽斎筆三十六枚、三十六歌仙大隈言道翁筆三十六枚、長刀、弓矢其他数点
【境内坪数】 二千二十四坪四合九勺
【氏子区域及戸数】 上名島町、本町、船町、魚町、大名町、呉服町、大工町、下萬町、職人町、浜町、赤坂門町、土手町、紺屋町、小姓町、川端町、林尾町、養巴町、雁林町、柳原町、上下赤坂町共、警固一円 戸数約三千五百戸、町数四十八箇町
【境内神社】 東照神社(徳川家康)、天照皇大神社(天照皇大神)、菅原神社(菅原道真)、稲荷神社(倉稲魂神、火産霊神)
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公開日2012/09/16
更新日2017/05/07
その他の写真
神社全景
神社入口風景
社号標
由緒書
鳥居
鳥居扁額
社務所
参道
注連掛石
手水舎
神門前風景
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
境内庭園
御神水
神門
社殿正面
拝殿内
拝殿神額
授与所
お潮井台
社殿全景
社殿全景
社殿左側風景
境内神社、菅原神社
社殿右側風景
境内神社、天照皇大神宮
本殿
社殿背景
本殿背景
境内神社、今益稲荷神社
境内神社、今益稲荷神社正面
境内神社、今益稲荷神社社殿全景
境内神社、今益稲荷神社本殿
境内神社、今益稲荷神社本殿裏
針乃碑