[0199] 飯盛神社(いいもりじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0199
神社名 飯盛神社(いいもりじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2012/02/12
再訪日 2013/09/21
社格  郷社
その他社格 
ご祭神誉田別命、伊弉冊命、玉依姫命
由緒等
平成の御遷宮 飯盛神社本殿御屋根替工事奉賛趣意書
平成二十一年十一月起

本社は、古代・中世・近世を通じて篤い崇敬を受けた旧早良郡の総社であります。
中世には、三所権現宮と称され、上・中・下宮がありました。上宮跡の山頂から永久二年(一一一四)の経文瓦が出土している事は全国でも有名であります。当社の古文書によると、福岡藩より銀子・材木の寄進を受け、南北朝時代の戦乱の災禍を受け頽廃した社殿を慶安三年(一六五〇)に建立したとあります。現在社殿はその後天明六年(一七八六)に改修、現在に到っております。
本殿は、安土桃山風の豪華な木彫りの彫刻を多く取り入れた三社流れ造り、大虹染に龍を彫った装飾は、他に見られない特色があり、また阿吽の象を彫刻した木鼻等貴重な建築文化財であり、屋根裏に見る数々の墨書は当時の工匠等の活動を明らかにするものであります。
平成二年三月福岡市有形文化財として指定され、西区の宝物としても登録されております。
去る平成十七年春、福岡地方を揺るがした《福岡県西方沖大地震》M7の災禍により本殿柱の炸裂と傾斜等多大の被害を受けました。この度、本殿修復に併せ、錆付いた銅板屋根の葺き替え工事等、福岡市の指導を受け着工するものであります。
この工事は実に慶安の再建より三百六十年の時を経ての大改修となります。殊に今年は、天皇陛下御即位二十年・御結婚五十年と云う誠に芽出度い日本国の祝賀の年でもあります。
紀元二千六百十九年という天孫降臨以来の歴史を伝承する飯盛神社、そしてこの素晴らしい飯盛山に鎮座坐します産霊の神、御縁結びの神様として神と人との結び、人と人との睦び合いを祈り、訪れ来る人々の心の拠りどころとして皆様方を和ましていただくものと存じます。
なにとぞ趣旨ご理解の上、受継がれる文化伝統の一端を担って頂ければ幸いと存じます。

※一口一万円から(掲示板にご芳名を掲示し、竣工の折にはご芳名額にて掲示いたします)


一、期日 平成二十二年度より三ヶ年計画
一、場所 境内御垣の内 本殿
一、事業費 本殿屋根替え修復費合計 三千八百万円
*工事に当たりましても、祭典・祈願祭等支障を来たすことはありません。

飯盛宮

むすびの神

相殿 八幡宮
東王子 天照皇大神
主神 伊弉冊大神
西王子 月読大神
相殿 宝満宮

天孫降臨のみぎり天之太玉命此の地を斎定めて伊弉冊大神外二神を祀り国土開発むすびを祈らせ給ふ神功皇后三韓を平伏凱旋当宮の伊弉冊大神と相対し若杉山に伊弉諾大神を斎き給ふ
文徳天皇の御霊夢に依り清和天皇の貞観元年御社殿を造立せられ勅使和気清友下向祭事を行はせ給ふ天文二十年小田部民部入道奉行中牟田壱岐守王子社を建立す今の本社神殿は国主黒田忠之公慶安三年の建立にして郡宗廟として祭事を行はせられ国主度々社参せらる尚飯盛山は古来金山神域として敬仰し寛文十二年三ヶ村庄屋八万六千坪を買取り寄進せし事あり
当宮は昔時神料田多く有之大宮司始め社家僧数多はべりて神宮寺七ヶ寺あり朝庭を始め武家農山〼〼村民のむすびの神として信仰厚く由緒深き御社なり
古式祭 〼の〼あけ祭 稲作御粥おためし 武射祭 地祭 角力会
宝物 神像 狛犬 経瓦 鮑貝 古文書

昭和三十三年元旦

飯盛神社(いいもりじんじゃ)

飯盛山の東側にある飯盛神社は、平安初期の貞観元年(859年)56代清和天皇の時に創建されたと伝えられています。古くから旧早良郡の飯盛、吉武、金武、戸切、田村、四箇、羽根戸、野方の総社として、あがめられていました。
祭神は本殿に伊邪那美命、相殿に宝満神(玉依比売命)と八幡神(誉田別命)、中宮社は五十猛尊です。
現在の本殿は、江戸時代中後期の天明6年(1786年)に大改修されたもので、市指定有形文化財です。この他にも南北朝時代の狛犬「石造狛犬」(県指定有形文化財)、「飯盛神社文書」(市指定有形文化財)があります。
この神社には多くの行事があり、中でも農作の豊凶を占う2月14日から3月1日にかけての「かゆ占」(県指定無形民俗文化財)、武家社会の勇壮華麗な行事として継承される10月9日の「流鏑馬行事」(市指定無形民俗文化財)は広く知られています。また、本殿の南側には学業成就で知られる飯盛文殊堂があります。

平成15年3月
西区役所

飯盛宮当流 流鏑馬 (十月九日)国土祭

福岡県下唯一の"神事流鏑馬"継承の地なり。
そもそも流鏑馬とは神前にて執り行なわれる儀式なり。
当社古文書中(文永八年四月二十七日、一二七一年九月九日馬追作料田三段、藤原氏子)と神領坪付が記され、鎌倉時代盛大に斉行されていた事がわかります。
国家安泰、五穀豊穣、悪疫退散、村中安全を祈念しての祭祀であり、射手三人、的三本、鏑矢九本即ち三、三、九度の重儀であり最高の吉数であります。
法螺貝の山法師を露払いに旗、松明、太鼓、鉦、弓、的、幣を捧持する脇侍を先頭に一の射手、二の射手、三の射手、総大将と行列を組みお潮井とりの儀式から始まります。
射手一人鏑矢九本即ち三回の走馬であります。掛声は一の的に向いて、ヨーイン(陽蔭)。二の的に向いて、ヤー(矢)。三の的に向いては黙して止め矢とする。
現在、香椎宮、住吉神社、志賀海神社、現人神社、大分八幡宮(嘉穂)にも奉仕する。
流鏑馬中興の師と仰ぐ榊輝長翁の勇退式に望むに当たり流鏑馬人生六十年の功績を賞賛しここに記念の碑とするもの也。

天保九年戊戌九月十八日(一八三八)
小笠原流 流鏑馬巻伝授依来

飯盛宮当流流鏑馬 第七代宗家 榊輝長 七十八歳
一の射手 山本伸幸 三十六歳
二の射手 青柳繁貴 十八歳
三の射手 榊信一郎 十五歳

平成二年庚午十月九日
顕彰之碑建立奉賛会

むすびの本宮 飯盛神社

[文化財]

祭典及び神事
歳旦祭 正月初詣祈願 1月1日~7日
獅子舞 さわらの獅子保存会・門付一番 1月1日
元服式 成人を迎えた男女の加冠の儀 1月第2日・月
初午祭 産業の繁栄を祈って 初午の日
節分祭 年男女の厄除祈願・豆撒き 2月3日
かゆ占 貝嘗・稲作吉凶判断 2月14日~3月1日
草鹿式 小笠原流の古式歩射神事 3月第3日曜日
春祭 地祭・五穀豊穣産業繁栄祈願 4月9日

新年初詣福みくじ 一年の計は元旦にあり!
新しい年を迎え、元旦午前0時より始まる招福縁起物大当たり”福みくじ”豪華な賞品ぞろいです。はずれはありません!境内では、時折現れる"獅子舞"に、正月の平穏な情緒を迎えます。

元服式 1月第二日曜・月曜の2回
飯盛神社にご縁を頂いて今年成人を迎えし男女の若人を対象に、武家社会の元服式を再現致します。人生儀礼、冠・婚・葬の内冠に当たる元服式、頭首に冠を戴く事にて成人に至る、冠位を戴く儀式です。毎年三十名対象と致して、希望者を迎えます。

節分祭 2月3日
追難の豆撒き(ついなのまめまき)、立春を迎えるに当たり除災招福の豆撒き致します。
午前は11時から、午後は7時から、夜は飯盛山から"鬼"が降りてきますので、皆で退治します。当たりくじつきの"福豆"や"鶏の水炊"を接待します!

[文化財] かゆ占 2月14日~3月1日
起源は弥生時代まで遡ります。卜骨・亀卜・かゆ占等古代の吉祥占いです。
2月14日に粥を練り炊き早朝金鉢に盛り神前に供す。3月1日早朝これを披き黴等の生え具合により稲作の吉凶及び風水害を占う。2月14日夜の貝嘗祭が見所です!

草鹿式 3月第三日曜日
矢どころは!中りにて候!矢な取り候らえ!
鎌倉幕府より武家社会大名家の年中儀式として"弓場"の行事が多い。草鹿式は、源頼朝公に由来するもので、武士の面目にかけて競う弓矢の儀式にて、中りの数にて勝負を決する。
獲物の鹿に見立てた"的"には24個の星が着けられており、射当てたその矢どころ(星の名)を的確に答えなければならない。
中世の武家言葉を用いての問答には見るものも、往時にタイムスリップする如しです!

神楽 4月第三土曜日
豊前岩戸神楽の内"黒土神楽社中"を迎え五穀豊穣・生産繁栄を祈って奉納いたします。子供神楽、大蛇退治、岩戸開き等見所沢山です。途中"もちまき"をいたし、協賛者よりの当たり物も沢山です。景品交換は夕方、神楽のクライマックスに達した頃です。接待の"鶏の水炊"にも顔が緩みます!

水無月の大祓・下元の節会 6月30日・10月28日
飯盛山中宮社は、平成14年秋28日に"五十猛尊"を降神申上げ、六百五十年の歳月を得て再建いたしました。飯盛山も本来修験の行場として神仏習合の信仰を対象として、本殿南側に鎮座する神宮寺が当時を偲ばせ、本地垂迹の信仰の元に仏主神従、神は仏の化現したものとして安置されました。この社司。社僧がともに祭祀を奉仕する両部神道に今、再び護摩焚き祈願として、除災招福の祭典を復活させたものです。当日参拝者の方が祈願した護摩木を神職が"大祓詞"を奉唱しながら焚き上げます。茅の輪を授与し家庭の魔除けとしていただきます。

4月29日昭和日 還暦の祝・武射祭
男子還暦を迎えし者”いざ!出陣あれ”午前、午後の二回に渡り合計8名の方を対象に"鎧着初めの儀"及び鎧武者による"武射"を催行します。
武射祭は、正月元旦に催行いたして来たものを平成23年よりこの日に変更いたした神事です。
一年の魔除けにと武者が射放つ征矢に還暦者が除災招福・無病息災を祈り、第二の人生を力強く出発願おうとする祈願です。約30キロの甲冑に身を包み勇ましく出陣されませんか。受付は先着順です。

相撲会 9月1日かざどめ祭
立春から数えて二百十日目9月1日頃です。地域の子供等・幼児等が対抗試合にての"すもう大会"です。
風の神様に負けないように一所懸命に頑張ります。皆様の応援を宜しくお願い致します。また赤ちゃんの土俵入りも開催致します。希望者はお申込みください!

七五三詣 11月中
11月一杯を子供の月として、御祓いを致します。殊に当社では美味しい"お祝膳"を差し上げております。
また"子供みくじ"も賑やかで沢山のおもちゃがあたります。
写真もプロの方々が待っております。どうぞ菊花香る境内にて思い出の数々を!七・五・三歳、子供等の厄祓いです。ご近所お誘い合わせてご参拝下さいますよう案内申上げます。

[文化財] 飯盛宮当流流鏑馬 10月9日(おくんち)
その起源は鎌倉時代にまでさかのぼり、豪族等による武技の競い合いが元で、技をその地方の大社に奉納されたのが神事化されたものです。
腰に太刀を差した狩装束姿の武士が、神社参道馬場で走馬上から三つの的を次々と射抜く勇壮な神事です。

筑前国旧早良郡宗廟 飯盛神社の由来
飯盛神社の創建は約1200年前までさかのぼると言われ、人皇56代清和天皇の勅命により定観元年(859年)霊峯飯盛山に上宮・中宮・下宮を建立したと旧記にあります。
中世盛大かつ荘厳に繁栄した当社も戦乱の世の度重なる戦火をこうむり、建物のほとんどが灰燼に帰しましたが、江戸時代の福岡2代藩主黒田忠之公の時、慶安3年(1650年)に本社が再建になり現在に至っています。
本殿の彫刻は見事な浮き彫りにして内殿には随身の色彩画が施され当時の神社建築の粋を物語っています。
本殿13坪、流れ造り、境内山林12000坪を誇る。
御祭神は伊邪那美大神・宝満大神(玉依比売命)・八幡大神を主神とし、東西王子社に日月神を奉斎し"産霊(むずび)"の霊験あらたかく神と人、人と人との縁をむすびます。なお、当社の在します飯盛山は標高382.4メートル、福岡市の西南部に位置し、鉢に飯を盛った形から「飯盛り」の名があります。
粕屋篠栗の若杉山とは夫婦山にして山頂からの眺めは素晴らしく登拝者の数も年々増加致しております。

飯盛山神宮寺文殊堂
いにしえより生きずく神々と人との縁むすび

貞和5年銘梵字板碑「マン」
この板碑は、旧早良郡七ヶ村の惣社飯盛神社の神宮寺真教院の跡地に立つ文殊堂寺内にあります。マン(文殊菩薩)の種子を薬研彫りし、その下に「貞和五年丑八月九日大尼慈善」の銘が陰刻されています。これは現在、福岡市で確認できる紀年銘の明らかな板碑としては6番目に古いものです。

文殊菩薩騎獅像
康永元年(1342)京の仏師堪幸法印等の作で、当文殊本遵仏は日本少数の重要文化財としてたいへん貴重なものです。
文殊さまは「三人よれば文殊の知恵」等として知られ、特に受験の季節ともなれば合格祈願の人も多く訪れてにぎわっています。堂脇の「知恵の出水」を汲んで持ち帰る人などもいて、近郊の人々の信仰を集めています。

神社の社頭や神殿の前に置かれている狛犬は、悪魔を近づけないようにお宮を守り、お寺でいえば仁王さまに似た役目を持つものです。
当社の石造狛犬は、子持ち毬取り獅子の姿で中国宋時代の影響が見られ宋風狛犬とも呼ばれています。

天孫降臨の砌に飯盛山上宮(現本社)に産霊神「伊弉冊尊」飯盛中宮には森林守護の神「五十猛尊」が降臨され、そしてこの神々を崇め豊かな国造りが進められました。飯盛山麓より発掘された、飯盛吉武高木遺跡から紀元前100年前後(弥生前期末)の木棺墓が発見され、中から古代王朝のシンボルといわれる"三種の神器"がセットで副葬されているのが見つかっています。北部九州には魏志倭人伝に登場する「伊都国」「奴国」の存在がすでに定説となっていますが、飯盛吉武遺跡群の出土品はこれよりも150年も古く、この地域に両国より一時代早い"国家"があったことを示しています。薄紫色に輝く銅鏡は古代へのロマンを駆きたてるものといえましょう。又、奈良平安時代の別当政所跡なども発見されています。

筑前国 飯盛神社
〒819-0037 福岡市西区飯盛609番地
※室見川上流飯盛山麓早良平野の中枢
http://www.iimorijinja.jp
Phone 092-811-1329
ご朱印
鎮座地区福岡市西区
郵便番号819-0037
所在地福岡市西区飯盛609
地図座標33.538339,130.309417
公式HPhttp://www.iimorijinja.jp/
福岡県神社誌
【社名】 飯盛神社 [A00-0680]
【所在地】 早良郡金武村大字飯盛字谷
【祭神】 誉田別命、伊弉冊命、玉依姫命
【由緒】 人皇第五十五代文徳天皇の勅願により第五十六代清和天皇貞観元年社殿を建立せられ、和気清友勅使として下向のこと社記にあり。慶永年間に百町神田有りと云ふ。明治五年十一月三日郷社に定めらる。
【例祭日】 十月九日
【神饌幣帛料供進指定】 大正十三年九月十一日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、社務所
【主なる宝物】 石造高麗犬雄雌一対、経瓦一枚、木神像二
【境内坪数】 一千五十坪
【氏子区域及戸数】 早良郡金武村の内大字四箇を除く四大字(金武、吉武、飯盛、羽根戸)田隈村大字田、壱岐村野方、大字戸切の七大字、戸数五百八戸
【末社】 東末社(日神)、西末社(月神)
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公開日2013/09/22
更新日2013/09/22
その他の写真
神社入口風景
飯盛山案内図
工事奉賛趣意書
ご祭神碑
年中行事案内板
神社入口前風景
社号標
神社案内板
神社入口鳥居
神社入口鳥居扁額
神社入口脇掲示板
神社入口脇杯状穴石
参道風景
手水舎
社務所
社殿正面
社殿正面
お潮井台
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿内
拝殿内
拝殿内
本殿右側東王子社
歯固めの石
本殿左側西王子社
本殿左側風景
社殿全景
流鏑馬顕彰之碑
流鏑馬説明板
社殿全景
本殿
本殿背景
本殿背景
社殿背景
絵馬掛棚
儀式殿?
神社東口参道
神社東口風景
日露戦役紀念碑
飯盛文殊堂参道
文殊堂境内
文殊堂正面
文殊堂内
文殊堂内
文殊堂全景
木造文殊菩薩騎獅像説明板
銘梵字板碑
銘梵字板碑説明板
文殊堂脇口風景
神宮寺跡碑
文殊堂裏風景
知恵の水
知恵の水案内板
文殊堂裏山風景
十三仏風景
文殊堂横池
飯盛神社神宮寺法華寺
飯盛神社神宮寺法華寺正面
飯盛神社神宮寺法華寺由緒書き