[0207] 伊覩神社(いとじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0207
神社名 伊覩神社(いとじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2012/04/01
再訪日 2014/07/26
社格  村社
その他社格 
ご祭神瓊々杵尊、木花開耶姫命、伊覩県主命
由緒等
伊覩神社

御祭神

瓊瓊杵尊
高天が原より、地上の日高の高千穂の峰に天降り豊葦原の水穂の国(日本)を治められた神様です。

木花開耶姫命
瓊瓊杵尊と、ご結婚なされて海幸彦、山幸彦等三人のお方の母神様で神武天皇のお祖母にあたられます。

伊覩県主命
紀元八百五十年頃(今より約千八百年前)仲哀天皇並びに神功皇后に仕え伊覩の国の県主(古墳時代の地方長官)でこの神社の東、四百米右側の小高い丸隈山古墳が、この県主命の墓と言われています。

御神徳 子孫繁栄と延命、縁結び、安産、交通安全
祭典行事 毎月十八日
ご朱印 
鎮座地区福岡市西区
郵便番号819-0373
所在地福岡市西区周船寺2丁目10-36
地図座標33.573354,130.247707
公式HP 
福岡県神社誌
【社名】 伊覩神社 [A00-0643]
【所在地】 糸島郡周船寺村大字周船寺字ヤシキ坪
【祭神】 木花咲耶姫命、邇邇藝命、伊覩縣主命
【由緒】 由緒不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
社説に曰く、創立の時代不詳、古は主船寺神社と称せし事あり、後世里人単に松の木天神社とも称せり。元来瓊々杵尊、木花咲耶姫命を祀りありしに、後世徳川時代の中頃伊覩縣主を配祀せしにより社名を伊覩神社と改称す。
日本書紀に見えたる伊覩縣主五十述手の仲哀天皇御奉迎の舟出せし所は、周船寺の東方神社より約五町隔たりたる山さきよりせしと云伝ふ。山さきには現在無格社塞神社あり。
【例祭日】 十月十八日
【神饌幣帛料供進指定】 昭和三年十一月九日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、社務所
【境内坪数】 三百三坪
【氏子区域及戸数】 周船寺部落 二百戸
【境内神社】 金刀比羅宮(大物主命、崇徳天皇、須世里姫命)、宮地嶽神社(勝門姫命、阿部高丸神霊、阿部助丸神霊)
糸島郡誌
【社名】 伊覩神社 [N01-0073]
【所在地】 糸島郡周船寺村
【由緒】 大字周船寺字やしきの坪に在り。古は主船司神社と称し、後里人単に松の木天神社と称せり。元来瓊々杵尊木花咲耶姫命の二神を祀りしに、後世伊覩県主を配祀せしにより社名を伊覩神社と改称せり。蓋し垂仁天皇の時天の日桙伊覩の地に渡来し、その子孫此の地方に留まりて県主となる。伊覩県主の代数詳ならず。又その居所も一定せず、時によりて居所をかへたるならん。当時怡土と志摩とは海を以て隔たり周船寺は海浜にて怡土の良港なりしと思はる。
日本書紀に仲哀天皇八年春正月巳卯朔壬午幸筑紫云々、伊覩県主祖五十迹手聞天皇行抜取五百枝賢木立千船之舳艫、上枝掛八尺瓊、中枝掛白銅鏡、下枝掛十握剣、参迎于穴門引島而献之、因以奏曰、臣敢所以献是物者、天皇如八尺瓊之勾、以曲妙御宇、且如白銅鏡、以分明看行山川海原、乃堤是十握剣平天下矣、天皇即美五十迹手曰伊蘇志云々・・・五十迹手の舟出せしは周船寺の東方なる山サキよりせしと言い伝ふ。
県主の盛なる時代はすでに社名は不明なるも神社は祀られしものならん。太宰府の設けられし後、所々の要港に船舶を司る役所を設け主船司と称ふ周船寺もその一にて主船司ありし所ならん。その当時は当社を主船司神社と称せしか、今尚周船寺の旧家に「主船司神社」と刻せる古き神額あり。同社の祠側に古松二株ありき。何れも二囲以上の大木なりしを以て後世は単に「松の木天神社」と称するに至れり。伊覩神社と改称せしは大凡百余年前以降なるが如し。古松の一株は明治十四年春正月社祠の隣地なる学校校舎火災に罹り火燼古松の窟に延焼し、為に樹幹漸く衰へ遂に明治三十五年枯損せり。今は両株共亡し。
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公開日2014/08/03
更新日2014/08/03
その他の写真
神社入口風景
注連掛石
鳥居扁額
参道風景
手水舎
社殿正面
社殿全景
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿内
由緒書き
社殿全景
社殿全景
本殿
社殿背景
石神
境内神社、宮地嶽神社
境内神社、金毘羅神社
庚申
ご神木