夷守駅と歌碑
奈良時代聖武天皇の時代(七ニ四~七四九年)、九州には大宰府が置かれ、政治の中心でもありました。奈良の都との交通手段は、主に馬によってなされていましたが、当時九州には、十一の駅家(馬と人夫の宿)が置かれていたとされています。夷守(日守)はその駅が設置された場所とされ、西街道の交通の拠点でもありました。
万葉集第四巻には次のような歌が詠まれています。
草枕旅行く君を愛しみ、副いてぞ来し、志可の浜辺を
この歌は大宰府の帥(長官)であった大伴旅人が、奈良の都にいる弟の大友稲公、姪の胡麿に遺言を伝えたいと申し出たところ、天皇は両人を勅使として見舞いに訪れさせました。
幸い旅人の病気が全快したので、二人は都へ帰ることとなりました。大伴百代・山口若麿・大伴家持らがこの日守まで送り、ここで別れの宴を催したとき、二人との別れを惜しんで大伴百代が詠んだ歌だとされています。
粕屋町で唯一の万葉歌詞詩で、地元の方々の浄財によってこの歌碑が建立されています。
粕屋町教育委員会
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