[0412] 乙金宝満神社(おとがなほうまんじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0412
神社名 乙金宝満神社(おとがなほうまんじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2012/05/06
再訪日 2015/02/11
社格  村社
その他社格 
ご祭神玉依姫命、誉田別尊、息長帯姫命
由緒等
乙金宝満神社由来

祭神 玉依姫命、神功皇后、八幡神(應神天皇)

鎮座
文禄四年(一五九五)八月中村御陵の宝満宮から、当村御手洗の古宮の地に勧請し、元禄年間(一六八八~一七〇四)に現在地に遷宮されたと伝える。中座に玉依姫命、左座に神功皇后、右座に八幡神(應神天皇)を祀る。

御神格
日本創世神話の中で、天孫邇邇芸命の御子彦火火出見命(山幸彦)は海神の宮に行き、海神豊玉彦の長女豊玉毘売命との婚姻により、生まれたのが鵜葺草葺不合命である。
当社の祭神玉依毘売命は豊玉毘売命の妹であり、後に鵜葺草葺不合命の妻となって、神倭伊波礼毘古命(神武天皇)をお産みになった。海神は海水の干満を自由にできる力があるということから、その娘玉依毘売命は竈門山(宝満山)の頂に鎮座されて水分の神となり、この地方一帯の水を支配されたので、水田耕作農民に密接に結びつく守り神として尊崇られた。
玉依姫の玉は神霊、依は神の憑り代の意で、神聖な女性を現わす神名である。
後に神功皇后と應神天皇を相殿に祀るが、その理由は、粕屋郡宇美において神功皇后が應神天皇をお産みになるとき、宝満山の益影の水を御産湯とされたためであるという。

境内社 八大龍王社、観音堂

平成二年八月吉日奉納

夏越し祓い祇園踊りの絵馬

大野城市指定民族文化財
平成六年三月十八日指定

天保二年(一八三一)に神社に奉納されたもので、市内ではもっとも古い絵馬です。天保年間の筑前四大画家の一人、村田東圃の手によって描かれました。
この絵は、旧暦六月の祇園祭の祓いにちなんだ踊りです。武士四人、女衆七人が手に扇を持ち、悪病神を祓いながら、右回りに踊っている様子が描かれています。髪形、衣裳など写実的に表現され、当時の風俗を知る上でもたいへん貴重なものです。
額板は檜で、縦一一七センチメートル、横一八八センチメートルの大絵馬です。「天保二辛卯六月十日産子中」の紀年と、「應需東圃冩口」(もとめに応じて東圃これを写す)の銘が書かれています。

平成六年三月三十一日
大野城市教育委員会
ご朱印 
鎮座地区大野城市
郵便番号816-0902
所在地大野城市乙金2丁目16-1
地図座標33.547562,130.495622
公式HP 
福岡県神社誌
【社名】 宝満神社 [A00-0574]
【所在地】 筑紫郡大野村大字乙金字古野
【祭神】 玉依姫命、誉田別尊、息長帯姫命
【由緒】 文禄四年乙未八月御笠郡中村より本村字御手洗旧古宮へ勧請、元禄年中同所より当社地へ移転と言伝ふ、明治五年十一月三日村社に定めらる。
【例祭日】 旧暦九月十九日
【主なる建造物】 本殿、拝殿
【境内坪数】 四百三十五坪
【氏子区域及戸数】 大字乙金区 戸数六十五戸
【境内神社】 山神社(大山咋命)
コメント 
公開日2015/03/01
更新日2015/03/01
その他の写真
神社入口風景[2012/05/06撮影]
観音堂[2012/05/06撮影]
参道風景[2012/05/06撮影]
大行事、疫神[2012/05/06撮影]
境内前階段[2012/05/06撮影]
注連掛石[2012/05/06撮影]
社殿正面[2012/05/06撮影]
拝殿神額[2012/05/06撮影]
拝殿内[2012/05/06撮影]
本殿跡[2012/05/06撮影]
本殿跡[2012/05/06撮影]
遥拝所[2012/05/06撮影]
神社全景[2013/03/02撮影]
神社全景[2013/03/02撮影]
神社全景
神社入口風景
鳥居
鳥居扁額
参道風景
由緒書き
大行事
疫神
観音堂
注連掛石
手洗鉢
社殿正面
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿内
拝殿神額
拝殿内
奉納絵馬
社殿全景
本殿
本殿
本殿
社殿全景
社殿全景
奉納絵馬説明板
石像
遥拝所
境内風景