[0791] 楯崎神社(たてざきじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0791
神社名 楯崎神社(たてざきじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2015/03/08
再訪日  
社格  村社
その他社格 
ご祭神大己貴神、海津見神、少彦名神
由緒等
楯崎神社縁記

それ当社は宗像宮に摂する所の七十五社の其の一にして、楯崎神社は以下詳かに説く古宮なり。祭る所の神は、大己貴命、小彦名命なり。又、飛龍権現を以て相殿と為し三座となす。
相伝えて云う、荒洪草〼の世、草木、言い語りの時、夷の類凶暴なる鬼神、吾が北海の浜に来寇し、人民を殺略す。時に大己貴命及び妃宗像姫大神自ら神軍を率い稜威を振い、楯を立て、鼓を鳴らして夷賊を防御し、遂に誅滅し類、無きなり。
楯崎及び加羅船等の名、蓋し此れより起る。按ずるに大己貴命は素戔嗚尊七世の孫天之冬衣神子、母刺国若比売神、此の大神、亦の名を大国主神、亦の名を葦原醜男神、亦の名を八千戈神、亦の名を顕国玉神と謂い、併せて五名の若夫あり。大三輪社に祭る。大物主命は大倭神社に祭り、之を称して大国売神と謂う。故に此の大国主神は、千早振神等を追撥し而して始めて国を作る。其の子凡そ一百八十一神あり。後に天の下、皇御孫尊を避け奉り、日隅宮に永隠す。即ち出雲国杵築大神なり。
少彦名命は神皇産霊尊の子なり。日本紀に按じて曰く、大己貴命の国を平ぐるや行きて出雲五十狭の小汀に到る。而して朝、まさに飲食せんとす。是の時、海上忽、人声の驚くありて、之を求む。すべて所見無き頃、時に一箇の小男あり。白斂皮を以て舟と為し、鷦鷯の羽を以て衣と為し、潮水に隋って浮き、大己貴命に到る。即ち掌中に取り置き、而して之を玩ぶ。則ち跳びつき噛む。其の頰の怪、其の物の色なり。遣使天神に白す。時に高皇産霊尊、之にこたえて曰く、吾が所に産児凡そ一千五百座あり。其の中の一児、最悪にして教養に順わず、指間より漏るる堕者は必ず彼なり。爰に於いて之を養うべし。此れ即ち少彦名命、是れなり。又、云う、大己貴命、少彦名命とともに勠力一心、天下を経営し、またあきらかに、蒼生及び畜産を見んがため。其の療病の方法を定め、又、鳥獣昆虫の災異の壌を為す。即ちその禁厭の法を定め、此れを以て百姓、今に至り咸、恩頼を蒙る。嘗、大己貴命、少彦名命に謂りて曰く、吾等造る所の国、豈に善成と謂や。少彦名命、対えて曰く、或は成す所あらんか、或は成さざるにあらんか。其の後、少彦名命、行きて熊野の御碕に至り、遂に常世郷に適す。今、天下諸国に温泉地あり。是の二神を祭り奉るは、この縁なり。
宗像三前大神は、天照大神と素戔鳴尊、誓って久しき後に生座の御子なり。即ち〼して曰く、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命は沖津宮、中津宮、辺津宮の三所に厳重に鎮座し、奇瑞、古今不変、国家鎮護の大神なり。旧事紀に案じて曰く、素戔嗚尊の児、大己貴神、先に宗像奥津宮に座す田心姫を娶りて、一男一女児、味鉏高彦根神妹、下照姫命を生む。次に辺津宮に坐す高津姫命を娶りて一男一女児、味歯八重事代主神妹、高照光姫大神命を生む。味歯八重事代主神は化して八尋の熊鰐と為り、三島溝杭女を通じて、玉依姫に生き一男一女児を生む。天日方奇日方命なり。此の命、橿原朝の御世勅して、食国大夫となりて供奉。六世の孫阿田賀田須命は、宗像朝臣等の遠き祖なり。宗像社記に曰く、当神、異賊に対し、最初、御合戦地の〼、御楯を築き始められし処を楯崎と号す。其の御楯、石と成りて今にこれあり。軍に御勝ちあり。勝鼓を打ちたまえる処を鼓島と号す。其の鼓、石に成りて今にあり。それ神山の峻嶺上、草木蓊蔚楯板、石と化し、今猶其の石あり。面の径二尺五寸、高さ五尺恰も削成せるが如く、東方に向きて立つ。三方石壁を築き、之を囲続す。土人之を敬畏し能く登歩する者あらんや。社の後に一岩窟の口あり。方二尺五寸、深さ一丈二尺、乃ち神霊の窟宅とする所なり。西は海岸に面して巉巌千尺、ここに萬里の冥遼に絶するに臨み、心目の寥朗を恣し、それ岸下の礒悉く龍蟠り、虎蹲り、怪異萬状、若し夫れ且夕、潮水、懸崖に〼がば、奔〼絶壁を撃ち、怒りて〼噴し、神を驚かし、魂を焇し、人を騒がす所、永吟の雅人、愛賞する所、楯石崎は即ち此れなり。
 夫木集 西行法師
 さかおろす楯石崎の白浪は あらしきほにもかかりけるかな
古老相伝えて曰く、往昔、息長足姫尊、将として西征の時、斯の山に登り、而して神の冥助を請わんことを祈り、御船、これに泊する処を京泊と曰う。社北、御手を洗いし処を御手水の曝布と曰う。其の側に一大巌あり。形状艨艦の如し、所謂加羅船なり。又、三嵓瀬あり、その中間は之を湯壺と曰う。温泉ありて湧出す。今廃し其の海中に多藝理瀬あり、潮汐將に盁涸の時、猶温井沸湯の勢を見る。因って之を社北の礒浜と名づけ、之を五色浜と曰う。細石、悉く五色鮮明なり。又、楢葉浜に神紋石あり。〼々、楢葉の文あり、隠れし名は、浜に起因す。鎮子と為すべし。この岸の西二町許り一岩嶋あり、形状は鼓に類し、草木なし、所謂、鼓島は凡そ、斯の山海の竒勝、言に尽すべからず、皆神明の霊蹤なり。
皇統彌照、天皇桓武天皇の御世、釋、最澄師、求法の為に將に唐国に赴かんとし当社に詣で宿願を達せんこと祈り、自ら薬師彌陀観音像を彫剋し、以て之を安置し号して楯崎寺と曰う。今俗に楯崎薬師と称する所は即ち此の新宮なり。誤って古宮を称して薬師となし、神山を称して薬師山と曰う。曽って大神の本跡を知る者なし。〼に、宗像神社の盛んなるや、末社、修造用途は葦屋新宮浜の漂涛物を充てらる。其後、勅を以て、同郡曲村田地、四拾町修造料と為す。当社亦、これを与う。又、〼田、貮町を寄せられ、今、社東の田字、御田及び御園と称するは古の遺名なり。又、毎年、正月七日、九月廿九日、宗像末社の神座を本社に於いて設け、神饌一百八膳を献じ、又、三月八日より同十五日に至り修法ありて、之を為す。恒例の神事宗像大宮司家、世掌礼典甚だ厳かなりと云う。天正十五年豊臣関白、九国、征伐の時、悉く神田を没収す。これより以後、神殿、傾覆し、神人、緇素、四方に散去し空しく神体佛像を岩窟中に遷し奉りて、祀らず。年ありここに於いて、元禄年中に至り、村民等、旧祠の廃絶を歎き、再造の志を企て、僅かに、一宇の祠を造立し、神佛を同檀に祀る。時に、本山派修験仙光院某なる者あり。衆力を募り而して春秋二祀を再興し、国家の為、永く擁護の神力を懇祈し、黎〼の為恢く発願し、快楽の誓いを弘め、今に一百有余年、祭典、欠さず幣帛、増加して惟れを伏す。大神園を造るの勧めあり。則ち、天下蒼生孰く其の恩光を戴かず。嗚呼、神の徳上下を徹し遐邇を隔てず、爰に感じ、爰に応じて鎮まる。国家、群生を護るや、大なり。誰か神風の余化を仰がざらんや。

合祀の縁起

神代より楯崎三所権現と崇め奉り四季祭事厳修しご神徳広大無辺なるも岳険しく不便なり、村人相謀りて渡村へ御分霊を勧請して社隆盛為るも時世の変化又住民の流動等によりやむなく合祀の祭毎に決した次第である。
尚渡社は遥拝所として祭祀を存続する。

平成十一年十一月吉日
ご朱印 
鎮座地区福津市
郵便番号811-3307
所在地福津市渡946-1
地図座標33.795686,130.448704
公式HP 
福岡県神社誌
【社名】 楯崎神社 [A00-0134]
【所在地】 宗像郡津屋崎町大字渡字御園
【祭神】 大己貴神、綿津見神、少彦名神
【由緒】 宗像宮社記に曰く当神対異賊最初合戦に御楯被築始所楯楯崎と号す云々古宮社記に往昔息長姫将西征の時登斯山而祈請せられたる遺跡也今俗所称楯崎薬師者即此新宮在干渡村後此に移転すとあり明治五年十一月三日村社に被定。
【例祭日】 三月十五日
【神饌幣帛料供進指定】 昭和六年六月十六日
【主なる建造物】 本殿、拝殿、参籠殿、社庫
【主なる宝物】 神社縁起
【境内坪数】 七千七十六坪
【氏子区域及戸数】 渡区一円 百戸
【境内神社】 薬師神社(大己貴神、少彦名神)
コメント 
公開日2015/03/22
更新日2015/03/22
その他の写真
神社全景
一の鳥居
一の鳥居扁額
社号標
境内風景
日本海海戦旗艦三笠主砲十二吋砲弾
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
手水舎
二の鳥居
二の鳥居扁額
社殿前階段
由緒書き
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿正面
社殿正面
拝殿内
社殿全景
社殿全景
社殿全景
本殿
社殿全景
楯崎神社合祀記念碑
合祀の縁記
社号標
境内神社(不詳)