祇園神社
『祇園様の由来』
昔の庄屋記録によると、慶長19年(1614)に深江が唐津藩の寺沢志摩守広高という殿様の時代に、塩屋橋(塩屋町)から浜町(今の湊町)の須賀崎まで潮除けの堤防工事が始められ、新田(3町1畝28歩半)が開拓されたり、水田の潮除けのために作られた濠池は、レンコン栽培に活用されるなど、町浦の一帯は、新開土手の完成によって、川からの洪水や満潮時の心配が少ない町並みとなりました。
それまでは、祇園様の祠は潟に橋を掛け、出島として海難防止、漁村繁栄、厄除けの為に水上に祀られていました。祇園様の祭神は、素戔嗚尊(須佐之男命)です。古い記録では、天保11年(1840)『深江町に祇園宮、神殿3尺(約1メートル)四方』がありますが、現在の神殿の元の姿と思われます。
この祇園様の『素戔嗚尊』という神様は、『古事記』などの神話では、高天原から追放された荒神様とされていましたが、八岐大蛇を退治したり、造船の植林を広めたり、疫病や水を治めて下さる神様です。また、インドの祇園精舎の守り神である牛頭天王の化身とも言われています。
7月の盛大な博多の祇園山笠の起こりは、鎌倉時代の仁治2年(1241)博多の承天寺の和尚さんが、疫病を無くす為に祈祷水を使ったのが始まりです。この様に、各地で水難防止や疫病を無くし、町を元気にする祇園の祭典が続いています。
参考文献 堀田千年著『二丈よもやま話』ほか
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