[0987] 縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)
正面写真・地図
神社情報
神社№ 0987
神社名 縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)
神社別名 
参拝日 2015/03/15
再訪日  
社格  村社
その他社格 
ご祭神応神天皇、神功皇后、大歳神、兄媛、弟媛、呉織、穴織
由緒等
縫殿神社

応神天皇の頃に、呉の国(今の中国)から兄媛、弟媛、呉織、穴織の4名の媛が織物、縫物の進んだ技術を日本に伝える為に招かれました。この中の兄媛は宗像神の求めでこの地に残り、中国の高度な染色、機織り、裁縫の技術を広めたと言われています。
祭神は、この4名の媛と応神天皇、神功皇后、大歳神でこの神社は日本最初の裁縫の神様であり、この地はデザイン、ファッションの発祥の地と言えます。
この神社には、永享12年(1440年)につくられた梵鐘(県指定有形文化財、宗像大社神宝館に展示)、南北朝時代の大般若経600巻や江戸時代中期ごろの三十六歌仙絵扁額をはじめとする絵馬があります。

福津市
ご朱印 
鎮座地区福津市
郵便番号811-3522
所在地福津市奴山812
地図座標33.817137,130.497711
公式HP 
福岡県神社誌
【社名】 縫殿神社 [A00-0128]
【所在地】 宗像郡勝浦村大字奴山字大明神嶽
【祭神】 大歳神、応神天皇、神功皇后、工女兄媛、弟媛呉織、穴織
【由緒】 日本書紀応神天皇三十七年春二月戊午朔阿知使主都加使主両人を呉に遣し縫女を求む是に於て呉王則兄媛、弟媛呉織、穴織の四女を送る、同四十一年春二月阿知使主等呉より帰る筑前国御使君之祖也とあり同紀雄略天皇の御世八年に身狭村主青と檜の隈の民使塼徳とを呉に遣し十年に帰朝す又十二年に呉に遣はし十四年に呉使とともに帰朝す、此時呉より献ずる手末才伎漢織呉織及衣縫呉媛弟媛等を将て帰朝ともあり社の巽の方に縫殿田と云へる田地あり側に社ありしを天明二年壬寅九月廃燼す、其翌年の春今の地に遷座なし奉る明治五年十一月三日村社に被定。
社説に曰く、宗像末社百八神の内にて此兄媛此地に於て専縫をし給ひしに依て、此兄媛を産土大神に祭り、又同時に乞渡し給へるに依て弟媛呉織穴織を合せ祭り且神功皇后の御徳に依て加羅に通ふ事初まり、応神天皇の求め渡し給へる御功を崇め尊みて共に斎祭りたり又秋毎に蝗の災に依り穂枯夥しきに依て此災害を除き五穀成就の為大歳神を勧請して同宇に祭る。年中の祭厳重なりしは、宗像宮神事帳にて正月朔日二月彼岸祭八月彼岸祭九月二十八日例祭其外臨時の祭祀多く公事の尊敬厚かりし事を知らる。凡そ皇国にして縫織の業の委しき此時より始まり鎮座の御神々尊ければ婦人等殊更信仰深し。
【例祭日】 一月一日、九月十三日、九月二十八日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年一月十九日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、神庫
【主なる宝物】 鐘一口
【境内坪数】 四百四十六坪
【氏子区域及戸数】 五十戸
【境内神社】 大明神社(不詳)、須賀神社(素盞嗚命、稲田媛命)、菅原神社(菅原道真)、大日霊神社(天照大御神、加具土神)、保食神社(保食神)
コメント 
公開日2015/05/31
更新日2015/05/31
その他の写真
神社入口風景
神社案内標
神社案内標
一の鳥居
一の鳥居扁額
参道階段
社号標
不詳
二の鳥居
二の鳥居扁額
猿田彦神
三の鳥居
三の鳥居扁額
手洗鉢ほか
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿内
拝殿内奉納絵馬
社殿全景
社殿全景
社殿全景
本殿
社殿背景
社殿上景
神庫
境内風景
境内神社(不詳)
境内神社(不詳)