[1541] 立岩熊野神社(たていわくまのじんじゃ)
神社№  1541
神社名  立岩熊野神社(たていわくまのじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2022/03/05
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  伊弉諾命、伊弉那美命
由緒等  
熊野神社 祭典行事

一月一日 歳旦祭
一月成人の日 左義長
二月十一日 建国際
四月吉日 五穀神祭
五月五日 春祭
六月三十日 大祓
七月十五日 祇園祭
十月九日 秋祭
十一月十五日 七五三祭
十二月初日曜日 恵比須祭
十二月吉日 五穀神祭
十二月三十一日 大祓

外(社頭祭)初宮詣・厄払い・企業安全祈願・交通安全祈願・合格祈願・病気平癒祈願など
 (外祭)地鎮祭・上棟祭・竣工祭・井戸祓い・新居清め祓い・神葬祭など

熊野神社縁起

社伝に曰く、その昔神武天皇が九州より大和に攻め上られた時この地にて嵐に遭い停滞を余儀なくされた。そこで神武天皇は祖先の神々に祈願された。すると天より巨岩が雷光と共に落ち、大地に突き立ち、雨はやみ、戦にも勝利し、村々は平穏になったと言う。この神霊の宿る岩をお祀りしたのが立岩神社であり「立岩」の地名の由来である。また、当時立岩丘陵の周辺は一面の沼地であった。斉明天皇の御世、朝倉宮が造営された年(六六一年)の六月、熊野崎(現熊野神社の地)に異人が漂着し三日後全員が急死した。その後立岩の地に疫病が蔓延し、多くの村人が死亡した。その時村長の元に「我は伊邪那岐命である。お前達は我が宮をこの熊野崎に建て謹んで奉祀すべし」とのお告げがあった。村長は、このことを朝倉宮に上申し、認可を太宰府長官より得て神殿を造営し二神をお祀りした。すると、瞬く間に疫病が治まったと言う。以上が熊野神社の縁起である。

平成二十七年十一月吉日
ご朱印   
鎮座地区 飯塚市
郵便番号 820-0003
所在地  飯塚市立岩1380
地図座標 33.646871,130.693581
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 熊野神社 [A00-0431]
【所在地】 飯塚市大字立岩字浦ノ谷
【祭神】 伊弉諾命、伊弉那美命
【由緒】 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
社説に述ぶる所下の如し、当社旧記曰、神武天皇遷居、朝倉橘広庭宮、朝倉宮御宇夏六月、異人熊野の崎に数十人漂着す。其人共日数三日を経ずして悉く頓死す。日ならずして疫病暴行土人多く病む。(此の下に文字あるか)神有て邑長の兒小蟲に憑て、吾は則伊弉那岐尊なり汝等宜しく吾宮を熊野崎に建て斎き奉れと。則邑長朝倉の宮に奏す、天皇聞食して宮符を大宰帥日向臣に給ひ、宮殿を熊野崎に造営して二尊を祀る。是熊野宮又熊崎宮と称す。今尚熊崎祠としたる石の額及熊野祠としたる木製の額存在せり。
嘉麻穂波の地は宇佐神宮の神領たり、宇佐大宮司公高宿禰立岩別府入府以来、祭政一致三社五座の神霊と崇敬祭祀営繕皆地頭是れを管したり。
社説には初は伊弉那岐命、伊弉那美命、大己貴命、少名彦命、手力雄命五柱神を祀りしが、其後諾冊二神を今の熊崎に移し熊野社と号し、大己貴、少名彦命二柱神を別殿に斎き遷宮大明神と号す。
手力雄命は今の熊野社の北三町余の高処に不動岩ありて立岩と称する処に祀れり。
【例祭日】 十月九日
【神饌幣帛料供進指定】 昭和二年九月十日
【主なる建造物】 拝殿、幣殿、神殿、御手水舎
【主なる宝物】 仁五の彫刻二体
【境内坪数】 二百九十七坪
【氏子区域及戸数】 区域立岩区一円 戸数五百戸
【境内神社】 大行事神社(高木神)、宮地嶽神社(勝頼神、勝村神)、須賀神社(須佐之男命、菊理姫命)、天満宮(菅原道真)
コメント  
公開日  2022/03/27
更新日  2022/03/27
参道入口風景
社号標
立岩鎮守の杜案内板
一の鳥居
一の鳥居扁額
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
神社全景
祭典行事
二の鳥居
二の鳥居扁額
猿田彦大神
参道階段
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
境内神社、宮地嶽神社
境内神社、熊崎祠
境内神社全景
手水舎
境内風景
社殿正面
由緒碑
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
手洗鉢
亀像
拝殿内
社殿全景
本殿
社殿背景
境内神社全景
境内神社、恵比須神社
境内神社、高木神社
境内神社、天満宮
境内神社、須賀神社
 
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